どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。
ここ数ヶ月、いろんな人に「はじめまして」の出会いをもらってきました。
わたしはひとりで過ごすことが好きです。でも、人と出会うことも、とても好き。内向型だけれど、社交的なタイプなのかなあと思っています。
人と出会ったり、関わったりすることが好きな理由に、「こうだから」というものを考えることは野暮な気もするのですが、最近人と会う機会が多かったので、つらつらと書いてみます。
スポンサーリンク
style=”display:block; text-align:center;”
data-ad-layout=”in-article”
data-ad-format=”fluid”
data-ad-client=”ca-pub-3814819541841513″
data-ad-slot=”9408875687″>
Contents
人と話すことで、自分のことがわかることがある
いろんな人と出会う中で、親しくしてもらえる人が増えると、その分、「今まで見えていなかった自分」と出会えることが増えるものだと感じています。
よつばくま(卯岡若菜)@フリーライター@yotsubakuma
自分のことって、自分ではわかっているようでわかっていないことも多い。わからないふりを無意識にしていることだってあるし。
わたしのことを大切に想ってくれる人の方が、わたしのことをわかってくれていることもあるのだなあ。(友達でも、家族でも)
…なんてことを思う、日曜日午後14時。
自分のことって、案外自分ではわかっていないことがあるものです。
自分にとって都合の良いように解釈していることもあるし、無意識に気づいていないふりをしている気持ちだってある。
「本当はこれがしたい」、「心の底ではこう願っている」というようなことって、内容によっては「わからないこと」にしていた方が、楽なことってありませんか?
その気持ちに気づいてしまったら、進むしかなくなる。
進むことで失うかもしれないものがあることもわかっているし、つらくなるだろうなあということもわかっているから、怖い。
だから、「気づいているけれど、気づかないふりをしている」ことって、あるものです。少なくとも、わたしにとっては。
でも、それって、いつかは気づいて、きちんと真正面から向き合った方がいいものであることも多いもの。
人と出会うことで自分が客観的に考えられるようになったり、その人の発言で「外側から気づかされた」ことにして、思いきって「扉」を開くことができたりする。
新鮮な気持ちになったり、「やっぱり?」と諦めの境地になったり(苦笑)、いろいろ抱く気持ちはあるけれど、でも、どれも、決してイヤな気持ちにはならない。と思っています。(それは、その相手がわたしの好きな人たちだからでしょう)
好きな人が増えれば、生きていく理由が増える
……えーと。(苦笑)
人によっては「重い」と思われるかもしれません。
わたしは、好きな人や大切な人が増えれば増えるほど、自分が今この場所で生きていく理由が増えると感じています。
昔、希死念慮に苦しめられていました。
そのときも、何がわたしを踏みとどまらせていたかって、「わたしの好きな人たち」の存在だったのですよね。
苦しくて、苦しくて、どうにもこうにもならなくなってしまって、自分で自分のことを大切にできないところまでいってしまったとき。わざと自分のことを粗末に扱いたくなってしまうようなとき。
そんなときに、好きな人や大切な人のことがチラリとでも思い出されると、どれだけすべてを投げ出す方が楽だと思っている状態でも、歯を食いしばって、「この場所」に踏みとどまっていられました。
そういう存在が多ければ多いほど、とどまらせてくれる力は大きいものになる。
そう、感じています。
「目から鱗」体験をもらえる
ひとつ目の理由にも通じていますが、誰かの考えや発言で、「ああ、そういう捉え方があった!」と思って、勝手に救われることがあります。
わたしは、たぶん、思いこみが強いタイプです。自分でも気づかないうちに、自分の作り上げた価値観や考え方で、自分のことを縛っていることがあるのですよね。
無意識的にしてしまっているから、気づかないうちに苦しいところまで縛りつけてしまっていることもあるもの。
そういうときに、ふとしたときにもらった言葉や対応で、ふっと縛りを緩められることがあるのです。
「もっと柔軟に考えてみてもいいんじゃない?」
「それは、自分で自分を苦しめているだけなんじゃない?」
「力、入れすぎ。気楽に、自由にいこうよ」
そんな気持ちを、何度も何度も、いろんな人からもらっています。
「好きだなあ」と思える人と出会えるかもしれないという気持ちが、「会ってみたいなあ」につながっていく
人との付き合いに、損得勘定をすることはありません。
デメリットはある程度考えます。さすがに、自分に害(不快感情)を与えてばかりだという人と関わっていきたいと思いません。
でも、「この人と付き合っていれば、自分にいいことがあるんじゃないか」というような下心を持って人と出会いに行ったり、付き合いを構築しようとは思いません。
ただ、わたしは、「好きだなあ」、「嬉しいなあ」、「楽しいなあ」、「幸せだなあ」と思える人と出会えると、嬉しい。
そういう人との関係性は、わたしがわたしの場所でがんばる原動力にもなる。
だから、「もしかして好きになれるかもしれないなあ」と思える相手とは、会ってみたいし、会いに行きたいと思うし、そういう場があれば、行ってみたいなあと思う。
そこに、性差や年齢差は、まったく関係ありません。「合う人は合う」ものです。何歳年上であったり、年下であったり、性別が違っていたとしても。
年齢で付き合う人を判断しちゃうのって、もったいないと思う。年上でも年下でも、大人になっちゃえば全部一緒だよ。合う人は合うし、合わない人は合わないし、尊敬できる人は年上年下関係ないし。
— よつばくま(卯岡若菜)@フリーライター (@yotsubakuma) 2017年7月9日
純粋に、結局のところ「人が好き」なんでしょうね。(元も子もないまとめ方になりました。笑)
Have a nice day!