お金のこと

「好きなこと」だと気づかないようにしている心のストッパー

どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

「好きなこと」や「好きなもの」、自分で把握していますか?

まったく把握していないという人はいないかもしれません。でも、実は「気づかないふりをしている好きなこと」が、心の中にしまわれてはいないでしょうか。

今日は、「好きなこと」に気づかないように、無意識的にかけている心のストッパーについて、です。

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■目次

「好きなこと」に気づかないようにしている理由

「お金を使いたくなっちゃうから」、「のめり込みたくないから」→「興味がないことにする」

「極められないと思うから」、「才能がないから」……いろんなストッパー、かけてない?

ストッパーを外して、自由に好奇心を伸ばしていこう

「好きなこと」に気づかないようにしている理由

わたしが、「あ、実は好きなのに、あんまり興味がないことにしてたな」と気づいたことは、本当にささやかなきっかけでした。

それは、「久しぶりに自分の服を買ったこと」

……意味が、わからないですよね。(笑)

わたしは今まで、「私は、あまり服やファッションに大きな興味関心がない人なんだ」と思ってきたんです。

これは、別に服装に無頓着というわけではありません。

それなりに服装を考えることはするし、「こういう服装が好き」という気持ちがないわけではありません。(スカートやワンピースが好き、とか。サテン生地っぽいものが好き、とか)

ただ、毎シーズン服を買いに行きたい! とか、お店で自分の服を見に行きたい! とか、そういう欲求は、自分には少ないと思っていたんですよね。

それで、オシャレな人は「女子力の高い、センスのいい人」だと思って、そういう人たちは「自分とは住む世界が違う人」くらいに思っていました。

……が、これ、自分で自分の欲求を抑えつけていただけなのではないかと思ったんです。

「お金を使いたくなっちゃうから」、「のめり込みたくないから」→「興味がないことにする」

わたしの思考パターンは、見出しのとおりだと思っています。

「服が好き!」という気持ちに気づいてしまうと、「買いたくなっちゃう」し、「のめり込みたくなってしまう」。結果的に、「お金が必要になる」から、「興味がないことにする」という流れです。

これは、育ってきた中で培われた思考回路かもしれません。

わたしは長女ですが、小柄だったこともあり、決してお金に余裕がある家でもなかったため、自分の服を買ってもらった記憶が、限られた回数しかありません。

母の交友関係の方からもらってきたおさがりを着ていることが多かったです。

そして、そのことに対して、文句を言うこともなかった。「こういう服が着たいのに」って、言ったこともないんじゃないかなあ。

「あるものの中から選ぶから大丈夫」、「大丈夫、そんなにオシャレに興味があるわけでもないから」って思ってたことを覚えています。

誕生日などで、「服を買ってあげるよ」と言われたときも、値札を見てから選ぶような子どもでした。
子供なのにね。(なお、外食時の注文の選び方も、わたしは子ども時代から値段を先に見てしまうくせがあります)

父が無職だったころを知っています。貧困を経験したというほどの経験は幸いにしてないのですが、「お金をいかにして節約して暮らしていくか」というマインドは、子どものころからしっかりと植え付けられていると感じています。

本当は服を選んだり、買ったりすることが好きだったのかもしれない。

そのことに気づくと、叶えられない状況から欲求不満になってしまう。それがイヤだから、線を引いた。蓋をした。

……んじゃないのかなあ、と思ったのです。

服飾費・美容費については、過去にもブログを書いています。

美容やファッションにお金を使うことが後ろめたい…そんな自分とサヨナラしたい

「極められないと思うから」、「才能がないから」……いろんなストッパー、かけてない?

わたしの服に関する「好き」の場合は、ストッパーが「叶えられない欲求不満からの逃避」でした。

でも、「好き」に気づかないようにかけているストッパーって、ほかにもいろいろあるのではないかな、と思います。

  • 自分には極められないと思うから……
  • 才能がないと思うから……
  • 周りで詳しすぎる人がたくさんいるから、好きだなんておこがましくて……
  • センスも情報も持っているわけじゃないし……
  • 自分のキャラじゃないから……
……などなど。

特に、自分が「実は好きかもしれないこと」を好きな人たちが、知識や技術が半端ない世界であったりすると、二の足を踏む人はいるのではないかな。

ゲームとかマンガとか、特定のバンドとか。すでにそれを好きな人たちのオタクさがすごすぎて、そこと勝手に比べてしまって、「とてもじゃないけれど、好きだなんて思えない」みたいな。

でも、「好き」は誰かと比べて、「自分の<好き>は本当には<好き>じゃないんだ」って思わなければならないことではないのですよね。

あと、センスや情報も同じです。

「ファッションセンスがないから、ファッション好きだなんて、恥ずかしくて言えない」とか、「お店の情報に詳しいわけじゃないから、飲食店に行くことが好きだなんて、言えない」とか。

これも、「だから好きじゃないことにする」必要はなくて、自分なりに好きでいられたら、それでいいのではないかなあと、思うのです。

あと、「これが好きだと思ってる自分は、自分のキャラクター的に似合わないから、好きじゃないことにする」っていう、ややこしくなっちゃってる人もいるかもしれませんね。

サバサバしている女子が、かわいいものを好きだって言えなくて、興味がない素振りをする、とか。

これも、「むしろそのギャップが魅力になることだってあるから!」と言いたいです。(自分に対しても)

ストッパーを外して、自由に好奇心を伸ばしていこう

無意識にストッパーをかけて、「好き」や「興味関心」にブレーキをかけてしまっている人が、どれだけいるのかはわかりません。

でも、少なくとも、ここにひとりいるので(=わたし)、ブログを書いてみました。

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(わたしは、自分で自分のことを「可愛げのない、女子力の少ない、女子っぽくない女子」だと思っています……が、こういうの(ピアス)、好きなんですよ!)

本音では「好き」なら、気持ちを抑えてしまうことって、もったいないですよね。もしかしたら、そこに新しい自分の魅力や才能があるかもしれないのに。

できるだけ、変なストッパーはなくして、心のままに、自由に好奇心を伸ばしていきたいなあ。

Have a nice day!