女性の生きる道

自分のことを優先させる母親が、「母親として劣っている」わけではない

どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

昨日、久しぶりに丸1日を子どものために割きました。

久しぶりに、「母親業」をしっかりやれたなあという充足感。ただ、やっぱり母親が働くのって、悩みや迷いがつきものですね。

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■目次

夏休みの預かり保育が不満そうな長男に、胸が痛くなる

「今」しかない「〇歳の夏休み」を母親の仕事で奪ってしまっていいものか

それでも、わたしにとっての「今」も一度しかないという事実

悩みながら、ふらつきながら、見極めながら、それでも前へ進もう

夏休みの預かり保育が不満そうな長男に、胸が痛くなる

夏休みが始まった直後のこと。

「明日も幼稚園だよ」「明後日も幼稚園だよ」と言うわたしに、長男が「えー、違うよー? ようちえんは夏休みだよー?」と言いました。

「いや、ママが仕事の子は預かり保育に行くんだよ」と返すと、彼は「えぇ~?」と声を上げました。

そのときの言い方や表情が、明らかに不満そうなものだったことが、わたしの胸にチクリと痛みをもたらしたのです。

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去年と一昨年、わたしは託児所がついている職場でバイトやパートをしていました。

そのため夏休みの期間中、息子は幼稚園の預かり保育に行くことはほとんどなく、夏休みは息子たちにとって、「朝に急き立てられることがなく、昼から託児所で遊ぶもの」でした。

それが今年は、わたしの仕事が変わったため基本的にふだんの生活と変わりなく、幼稚園に通う毎日。

幼稚園が嫌いなわけではありません。

年長さんともなると、ワーキングマザーの率がかなりのものなので、預かり保育が少人数でさみしいということもありません。

実際にふだんから仲良しの子は、ほとんどが毎日預かり保育組です。(息子の園はワーキングマザー向きの対応をしてくれるありがたい園です)

でも、それでも。

長男にとっては、「夏休みにも毎日幼稚園に行かなければならないこと」は、心のどこかで不満となっているのではないのかな……と感じました。

「今」しかない「〇歳の夏休み」を母親の仕事で奪ってしまっていいものか

わたしの母親は、「毎年、子どもたちの夏休みが楽しみだった」と言います。

  • 「今年はどんなことを一緒にやろうかな」
  • 「どんなところに連れて行こうかな」
  • 「何を経験させてあげようかな」

……こういうことを考えて、心待ちにしていたそうです。

夏休みが終わる頃には、「ああ、今年も夏休みが終わっちゃうなあ」と思っていたんだとか。

親にとっては、毎年変わり映えのしない夏休みかもしれません。

毎日子どもを叱って、朝昼晩とごはん作りに追われて、宿題をやるように何度も注意をして、プールや祭りに遊びに連れて行って。

「ああ、もう面倒くさい。疲れた……。夏休みなんて早く終わってほしい……!」

そう心の中で叫んでいる母親が、多いと思います。(わたしを含め)

けれども、子どもの夏休みは、一生に一度しかありません。

「〇歳の夏休み」は、今年、「今」しかやってこないのです。

その一生に一度の夏休みを、貴重な長期休暇を、親の仕事でまるでないようにしてしまっていいのかなあ……。

そんなもやもやが、やっぱり頭のどこかに、あったのですね。

それが長男の言動によって、呼び起こされたのだと思います。

それでも、わたしにとっての「今」も一度しかないという事実

子どもにとっての子ども時代は、一度しかありません。

でも、そのことと同じくらい、母であるわたしにとっての「今」もまた、一度しかないのです。

仕事をしたい。やりたいことをやりたい。挑戦したい。がんばっていきたいと思っています。思えるようになりました。

子どもは仕事のハードルではなく、ハードルを越えるための踏切台である

もちろん、働く理由には「お金」という現実的なものもありますが、それだけのために「がんばりたい」と思っているわけではありません。


わたしはわたしの人生を生きたい。生き切りたい。

その人生の一部に、家族のことがあり、子どものことが含まれているのだと思っています。

私が在宅ライターという働き方を選んだ理由【前編】

私が在宅ライターという働き方を選んだ理由【後編】

「生活のため」だけに働くことをやめようと思った

「自分の人生を生きよう」と思った転機について考えてみる

 

自分のことを優先させることすべてが、家庭をないがしろにしていることにはならない

「母親は子どものためにすべてを投げ打てて当たり前」という風潮が、やっぱり今でも日本にはあると感じています。

「生活のため」に働くのならば理解や同情や共感をしてもらえるのに、「自己実現」や「夫の収入で生活できるのに、働きたいから働く」母親に対しては、「あなたが好きでやっていることでしょう」というように思われることは、多い。(異性からだけではなく、女性からも思われますよね)

仕事=生活のためのもの。

だから、生活ができているのならば、女性が優先すべきことは家事育児である。

やっぱりそういう考え方って、根強く残っていると思うのです。

でも、女性が自分のやりたいこと、仕事や趣味を優先させることは、家庭や子どものことをないがしろにしているわけではないと思う。

むしろ、自分の人生を真剣に生きているからこそ、夫の人生や子どもに人生に適切な距離を保って関われるのではないかな

……なんて考えています。

女性に犠牲的な母性を求めないで欲しい

お互いの人生を尊重することで、より良い方に向かえるのではないのかな。

自分の足で立って、自分の考えや気持ちを軸にして、過度に夫や子どもに寄りかからずに生きている女性は、魅力的だと思いませんか。

もちろん、バランスは必要です。でも、自分の人生を、女性だって男性だって、親になってからも大切に考えていいはずなんです。

家事育児仕事と、「やりたいこと」とのバランスを考える。

悩みながら、ふらつきながら、見極めながら、それでも前へ進もう

わたしは働く母親だから、自分の母親とまったく同じように、子どもの「今」のすべてを優先させることはできないでしょう。

でも、だからといって、子どもの「今」をないがしろにしているわけではないし、仕事をしている母親だからこそ、子どもに対して出来ること、見せられる姿が、きっとあるはず。

理想の母像を自分の母親に当てはめすぎると、しんどくなることもある

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子どもと関わる時間。

自分に向き合う時間。

夫と話をする時間。

家族全員で楽しめる時間。

「今」しかないということは、どの時間でも同じことです。

欲張りかもしれないけれど、わたしは、どの時間も大切にしながら、そのときどきで優先させることを考えて生きていきたい。

それは、母親として劣っているわけでもない。

……と自分に言い聞かせて進んでいこう、と思います。

いろんな「自分」を大事に。3兎を追ってもいいじゃない。

Have a nice day!