夫婦

夫の悪口をSNSで書いている人がみんな暇なわけじゃないしバカでもないし大きなお世話だけれど、愚痴り続ける不幸ごっこはやめにしようよ、妻たち。


どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

パートナーの愚痴や悪口、言っていますか? 言っている人は、どんな場所で、誰に言っていますか?

今日は、「妻が夫の悪口・愚痴を言うこと」について、考えたことを綴ります。

 

夫への愚痴・悪口を言う妻問題

昨日、Twitterに流れてきたことをきっかけに、とあるブログを読みました。

そもそも、この「バーカ!」に「なんだこの人」と思ったわけですけれど、その後も何度か読んで、今朝もう一度読んだ上で、わたしの考えを残しておきます。

表現の是非はひとまず置いておく

ツイートもそうでしたし、ブログの中身も、表現は荒っぽいです。Twitter上でも、そこに反応している人が多かった。(わたしもやっぱり「どうなんだろう」という思いはある)

ただ、そこはいったん置いておきます。炎上商法を狙ったのか、センセーショナルさを狙ったのか、ただ表現の仕方に配慮をしない人なのか……。そのあたりは存じ上げない方のため、わたしには判断できないので。

まあ、直接的にものを申すにしても、もうちょっとうまいやり方はないものかという本音はありますけれどね。

 

……まあ、寄りそいたいわけじゃないんだから、線をずばーんと引いているのかもしれないけれど。でも、それにしてもねえ。

 

間違いたくないのは、「愚痴る妻」すべてがNGとは言っていないということ

で。

Twitterで反応した人が、ブログをしっかり読んだのかどうはわかりませんが、間違いたくないことは、この著者は「愚痴る妻」「愚痴ること」をすべてNGだと断じているわけではない、ということ。

いやもちろんね、
人間だから時々弱音を吐いても
愚痴を言ってもいいと思うんです。
でもさ。しょっちゅうだよ。
またかよ。またかよ。またかよ。

元記事

確かに、ずーーーっと、ずーーーーーーーーっと、愚痴や悪口を書き連ねている人がいるのでしょう。(愚痴用のアカウントなるものもあるようですし)

愚痴用のアカウントなら、見る人もそこに共感できる人だけなのかもしれません。でも、そういうわけじゃないアカウントを使って、延々呪詛のように愚痴ばかりを書いている人のことを、指しているわけですね。

だからね、そうじゃない女性は、「何これ、私のこと言ってるの!??」って過敏に反応しなくてもいいのだと思うよ。

(あ、でも愚痴と悪口は似て非なるものなので、悪口はわたしは反対ですよ)

 

「いつも」「毎日」「しょっちゅう」悪口を言っている人が「問題」

……っていうように、「いつも」「毎日」「しょっちゅう」悪口を言っている人が「どうなんだ」っていう話をされているわけですね。言い方は悪いけれども。

「別に本人の自由でしょ?」と思いますか?

確かに、自由だと思います。憎さが有り余って夫の個人情報をダダ漏れにさせるような愚痴り方をしていたら、「おいおい、ちょっとそれはあかん」と思いますが、基本的にはぼやかして愚痴ることは、悪いことではないと思う。

愚痴用のアカウントであれば、まあ、延々言っていても責められるいわれはないでしょう。

ただ心配なのは、それだと、ずーっと愚痴を言っている本人が、その場所から抜け出せないよ、ってことです。

引き寄せの法則って言いますし、言霊っていう言葉もあります。ネガティブな内容を、ネタとして発言しているのならばいいのですが、心底ネガティブのまま吐き出しつづけるのは、本人にとってもプラスにならないと思うのですね。

自分で自分を不幸のどん底に追いやっておきたい、みたいな。それはちょっと、もったいなくないかなあ。

  • 前向きになろうと、またがんばるため
  • 相手と向き合うため
  • 頭の中を整理するため

このためならば、愚痴は無駄なものではないと思ってます。このための愚痴すら見たくない人は、ブロックなりミュートなりすればいいと思うな。

たぶん、そういう人はその他の日常的なツイートもしていると思うんですけれどね。

 

愚痴りたい人は主観MAX。客観的に頻度の判断は困難

「いつも」「しょっちゅう」っていう言葉は、定義があいまいです。「毎日」はわかるけれど、「しょっちゅう」の判断は個々で異なるものでしょう。

だから、「また!?」って周りが思っていたとしても、本人にとっては「また」じゃない、ということだってあり得ること。

さらに、「あああ、もう!!! 愚痴らないとやってられない!!!」っていう思考回路の中にいる人って、己の主観バリバリの状態にいるものです。

だから、客観的に「あ、やりすぎてるかも」っていう判断は鈍くなっているのではないかな、と思います。

愚痴る人は、深呼吸をしてみていったん立ち止まってみる。

読み手側は、「あ、この人は今余裕ないんだな」と思うようにしてみる。(そして不快ならそっとミュート)

……のが、いいのかなあと。

 

誰かの愚痴を見て不快になる人もいる。でも、誰かの愚痴を見て救われる人もいる

でもですね、本当にいろいろな人がいるものなんですよね。性別はもちろん、同じ女性でも性格は違うし、そのときの状況で捉え方だって違う。

だから、愚痴=不快なもの とも限らない。っていうことも思っておいてもいいんじゃないかなあ。

理解できない人からみたら、「ただの傷のなめあい」にしか見えないのかもしれない。愚痴っている人が、「とにかくわかってわたしつらいの構って構って褒めて慰めて」っていう「かまってちゃん」タイプなことだってあるでしょう。

でもね、それでも、その人の愚痴を見て、「あ……わたしと一緒……」って慰められる人が、どこかにいることだってあるんですよね。

自分の気持ちをうまく言葉にできなくて、ぐるぐるもやもやしていた人が、「ああ、わたしだけじゃなかったんだ。がんばろ……」って励まされることだって、あるんです。

 

そもそも、コミュニケーション力が問題

これは夫婦間に限らずですけど、そもそもコミュニケーション能力が落ちている人は、多いのではないかと思っています。

特に、腹割って話す経験って、どんどん少なくなってきているのではないかなあ。上手に喧嘩できる人って少ないですよね、たぶん。

これは携帯が出てきたときから感じていたんですけど、今はもっと顕著になっているのではないかな、と思います。

身の危険がないのなら、相手に伝える努力はすべき

大前提として、愚痴る愚痴らないはともかく、相手に気持ちを伝える努力は必要だと思います。何にも言わないのに、「いや察してよ」っていうのは、やっぱりよくないです。ツーカー夫婦であっても。

 

ただね、女性の方が一般的に男性より非力です。

だから、DVの危険性があるとか、DVまでいかないにしろ、意見を言ったらキレられるのが怖いとか、そういう状況にいる人は、無理して腹を割らなくていいと思う。

(むしろそれは離婚を視野に入れておいたほうがいいとも思うけれど)

でも、そうじゃないなら、「伝える努力はした?」って自分に問いかけたいですね。

コミュ力は発信側だけの問題じゃない

ブログでは、妻側のコミュニケーション能力について言及されていましたが、これはわたしは「どっちもどっち」だと思います。

でも数回言って伝わらないなら
伝え方を変えないと。
きちんと話し合わないと。
なんなら別れる覚悟で話し合わないと。
子供のしつけと同じでさ
ただ「あれやれ」「これやれ」
といってもやるわけがない。
ただ怒るだけでやるわけがない。
あの手この手を考えて
手伝ってもらうにはどうしたらいいか
伝え方なり方法を考えろよ。

元記事

確かに、伝え方は大事です。遠まわしに言ったり、うまく伝わらなかったりすることはあるでしょう。だって、人間だもの。他人同士だもの。

でも、その齟齬を妻が全部悪いっていうのは、違うかな、と。

たとえば、わたしの話ですけど、わたしは夫に「夜が遅いのはわかってるし、それで何もできないものわかってる。だから、せめて朝に子どもの送迎をするとか、洗濯を回してくれるとか、何かできることをやってほしい」って言ってました。

……結果は、「できたらね~」で、スルーでした。

なお、これは何度も何度も繰り返し言ってきたことです。言葉も言い方も変えていました。それでも、相手に受け取ろうとする心がなければ、どうがんばったって伝わらないんですよね。

夫の悪口をSNSに書けば書くほど
悪口を書いている妻の魅力のなさ、
コミュニケーション能力のなさを
ただただアピールしているだけ。

元記事

コミュニケーションは、発信側だけで成り立つものじゃない。

そう思います。

「別れる」覚悟を持って向き合えない問題

離婚云々については、諸事情がいろいろあると思うので、これも難しい問題だなあと思っています。

別に我慢して夫に尽くせとか
そういうことじゃなく
ひどい夫なら別れることも考えて
話し合いをすればいいだけ。

元記事

これはね、確かにそうだと思うんです。

夫婦だからこそ流しちゃいけないし、本音でぶつかるべきときってあると思う。でも、だからといって、本当に別れることになったら、そちらの方が問題だっていう夫婦だっていると思う。

  • 壊滅的に不仲じゃないから、子どものためには別れる危険性を冒していられない
  • 夫が鬱など精神的に病んでいるから、下手なことは言えない
  • 専業主婦だから、対等に話し合いが進められない(夫や環境のせいで専業主婦になっている人ほど、これは厳しい。だって本人の意思じゃないのに、収入減がないわけだから)

 

わたしの母は、結婚25年くらいまで、おそらく相当の本音をしまい込んできたのだと思います。(はじめて本音をここまでぶつけた、っていう話を数年前に耳にした)

それは、わたしの父に鬱の経験があったからです。そのときを支えてきたから、また病まれて元に戻られたら怖いという思いが、母の中にあったからです。

……などなど、各家庭に事情があると思うので、「これをぶつけてどうしようもないなら別れればいいじゃない」って第三者が簡単にはいえません。

そういわれると、「じゃあこのもやもやをひとりで抱えていけと?」っていうところでストレスを抱えてしまう人はいると思うんですよね……。

だからといって、延々に愚痴ることがいいわけではないのですが、本人まで病んじゃって、結果自殺しちゃう、なんていうケースになるよりは、愚痴は吐いた方がいいと思います。

 

実際に、話し合いがうまくいかず、でもどこにも吐き出せないまま、命を絶った知り合いがいるんです。

それくらいなら、吐いた方が絶対にいい。そう思うんです。

愚痴る人は、自分がよりよくなれるように。愚痴を見たくない人は、一時避難を。

愚痴を言って精神バランスを保っている人の気持ちは、よくわかるつもりでいます。わたしだって言いますし。ええ、言ってますし。(苦笑)

でも、根底に「どうにかしたい」「気持ちを上向きにしたい」っていう気持ちがあるかないかで全然違ってくると思うので、そこは「自分が楽しくなれるように」って思っていきたいなあ。

不幸ごっこはやめましょもったいないです、ほんと。

でもね、専業主婦の人は、本当に誰にも褒められないことが多いんです。だから、そこを「褒めて……」っていう気持ちになることを、否定はしないでいたい。

誰だって、いっぱいいっぱいになっていたら、「がんばってるね」って言ってほしいとき、ないかなあ?

夫がそういう妻を放ったらかしにしている結果、「誰も褒めてくれない……。つらい……」ってなってしまっている妻もいると思うよ。(まあ、妻も夫へ感謝の意を示してないっていうのならば、どっちもどっちなんですが)

 

愚痴だけにとどまらず、何だか、想像力が足りてないんじゃないかなと思うことが多いです。愚痴る側も、見る側も、ですが。(でもね、愚痴る側は言った通り冷静じゃないから、想像力どころじゃない人もいると思うんですよ)

……うーん。何だかまとまりきっていないブログになっちゃいました。

ただ思うのは、自分自身の気持ちにも、相手との関係性にも、きちんと向き合う機会を作っていくのは大事だということ。心身ともに可能な限りね。(向き合った結果メンタルやられた経験をしてるので、わたしが)

その夫婦なりの「いい方向性」を探っていこうよ。夫も、妻も。そう思います。

Have a nice day!