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【燃え殻×糸井重里 スペシャルトークイベント】手帳には保留にしたい傷をいったん移しておける

どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

今回は、前回(【燃え殻×糸井重里 スペシャルトークイベント】切り取った景色を言葉にして、共感してもらえる嬉しさ。 )の続きです。

 

小説を読む時間=リッチな時間

小説を読む人が少ないという話から、「なんで少なくなっているんだろう」という話題になりました。

糸井さんの見解曰く、読む人が少ない理由は、「日常のこと・課題に追われている人が多いから」。糸井さんご自身も、現在なかなか小説を読めていないそうです。

それは、糸井さんにとって、小説を読むことは、「役割のない魂で読む」ことだから。「完全な“ぼく”として読む」ことだからです。

大会に出ている人間、そうではない人間

糸井さんはフィギュアスケートで例えられていました。

現役選手(羽生選手など)として、大会に出ている人は、毎日やること・やるべきことがあって、スケートの場合、くるくる回ってジャンプの練習に励んでいなければならない。

引退してアイスショーなどに出ている荒川選手や真央ちゃんなどとは、同じスケートをやっている者同士だけれど、ちょっと違う。(それにしても、糸井さん、荒川さんや真央ちゃんの名前が出てこなかったのには笑いましたよ……)

糸井さん自身は、そう考えると、まだまだ「大会に出ている人」なのだと。そういう人が小説を読むことは、リッチな時間であるのだと話していました。

「じゃあ、どういう人が読むんでしょうか?」という燃え殻さんの問いに、糸井さんは、

  • 大会にあまり出てこない人
  • 自分もものを書く人


じゃないかとおっしゃっていました。

わかる気がしますね。

周りでも、いわゆる「大会に出ている人」って、あんまり小説を読まないイメージがあります。即効性のある、ビジネス書はハウツー本は読んでいるようだけれど、小説や詩集など、創作物を読んでいる人は、あまり見かけない気がするんですよね。

逆に、小説を読む人って、経済的な「現実社会」ではない、他のところに焦点を当てている時間が長い人が多い気がします。生きていくこととか、人とのかかわりや心の機微など、です。

わたしは、大会を大事にしなきゃいけないのだろうなあと思いながら、なかなか立ち続けられずに気もそぞろになっちゃうタイプの人間だろうなあ。

ビジネス書を読み漁って、ビジネスとしての仕事に邁進しまくってます!! という人間じゃあ、ないなあ。

昔の文豪にも、そういう人多いですよね。書くことに意識は向いているけれども、生活するところに主軸がないというか、こだわりがなさすぎて貧乏だった、みたいな人。

大会云々の話を、わたしはそんな風に思いながら聞いていましたよ。

 

手帳は「人生のレリーフ」

 

今回のトークイベントの目的は、そもそも「ほぼ日手帳2018」の発売記念でした。ちょいちょい書くことの話は挟むものの、肝心の手帳の話がなかなかなく……。(笑)

ここで、「やっぱり打ち合わせしておいた方が良かったんじゃないんですかね」という燃え殻さんの発言も飛び出しましたよ。(笑)

そんな燃え殻さん、これまでの手帳、21冊程度をすべて保管しているそうです。その中でも6~7冊はすぐにみられるところに置いてあるのだとか。仕事の合間の空き時間などに、読み返すことがあるそうです。安定剤のようなものなのだそうですよ。

 

今解決することがすべてじゃない

あくまで手帳なので、日記ではありません。それでも、そのときに出会った人の名刺であったり、似顔絵であったり、お昼ご飯に食べた天丼屋の箸袋であったり、そういうものが燃え殻さんの手帳には書かれたり貼られたりしていて、読み返すとおもしろいのだそうです。

嬉しいことだけではなく、悩みや人間関係についても書かれていて、そうして、それらは別に「解決したもの」ばかりではなくて。

むしろ、いったん保留にしておいたものであったり、悩みすら忘れているようなものが、いっぱい詰め込まれているものだと燃え殻さんはおっしゃっていました。

 

「慰め」の大切さ

燃え殻さんは、文春オンラインで人生相談のような活動をされています。

こちらからどうぞ。

この活動を、糸井さんが褒めたたえていました。

人生相談師って名乗ってもいいくらいだと思う」(糸井さん)
「胡散臭いなあ」(燃え殻さん)

燃え殻さんの、ただひたすら寄り添っていく姿勢がいいのですよね、と糸井さん。燃え殻さんの気の弱さや優しさが十二分に発揮されているんだろうなあと聞いていて感じました。

なお、あの回答文は、手直し一切なしの、ガチ生文章だそうです。そうしてもらえるよう頼んでいるそうですよ。本気の相談に、本気で返されているのですね。

「ネットで相談をするまでの間に、もうじゅうぶん悩んだと思うんですよ。めちゃくちゃ耐えてきたんだと思うんですよ。だから、ぼくはもう『いったん、もういいんじゃないの?』って言いたくなる」(燃え殻さん)

……沁みる。


「ケガをして、かさぶたができて、綺麗に治りました。でも、実際にはそういうものばかりじゃないでしょう。かさぶたのままであったり、時には止血しながらでも生きていなきゃいけないこともあるし、そういうものがあっていいと思う」(燃え殻さん)

……沁みりすぎる。

人生に答えはない、とも。

(おふたり揃って、「食べる」「歩く」ことで、満ち足りてみたり、バランスをとってみたりする、なんてお話も)

「言い訳に使えるものを、あちこちに仕込んでおく。そうすることで、粘膜の中にある、自分が傷つかずに済む」(糸井さん)

……沁みる。(3度目)

「燃え殻さんは、モテると思うでしょう?」(会場の女性うなずく)

「モテませんよ」(燃え殻さん)

「いや、モテますよ。そういう解決にいかない姿勢ってモテるんですよ。女性はわかるでしょう? そういうところで、田中泰延は全部解決しちゃうから」(糸井さん)

……田中泰延さん、巻き添えのような。(笑)

 

内側を気にして、裸の王様にならないために

燃え殻さんは、Twitterのツイート集は、依頼があっても販売したくないそうです。それは、すでにいるフォロワーに、またさらにお金を出して買ってもらうものだから。

実際にフォロワー数が多くて、客観的に見ても人気がある燃え殻さんだけれど、「キャーキャー言われてます」っていうスタンスで物事を行いたくないと話されていました。

本が売れ始めて、きっとすごい変わりようではあると思うんですよね。でも、燃え殻さん自身は謙虚でした。

「プロの人たちと過ごすことで、X軸Y軸の座標の中における自分の立ち位置がわかる。弱小だなって。だからプロレスのように、すごい人たちと組み手をやらせてもらって、立ち位置に気づかせてもらえることは大きいし、また地道にやっていこうって思えるんですよね」(燃え殻さん)

……実際に、「怖い人たち」「無頼な人たち」とたくさん会われてきた夏だったそうですよ。(笑)

祭り上げられることを意識して避けたいと考えられているから、燃え殻さんは今後も燃え殻さんのままなんだろうなあ、と感じました。(糸井さんも、「大丈夫です、そういう人は」って言ってました)

糸井さん自身も、たとえば目の前にお客さんがぎゅっと固まっていたら、その外側にいる人たち向けに何かを投げたくなると言っていました。

……これ、なんかちょっと、いろいろわかる部分があるというか、感じる部分がありましたよ。フォロワー数が多い人って、フォロワー=信者のような部分がありますもんね。

そこで、身内受けのような状態になって、祭り上げられて教祖さまのようになってしまうか、視野を外に向けて、ファン層じゃないところに何かを行っていくかって、大きな違いなのだろうなあ、と。

書いたものには本人がにじみ出る

書いたものには、本人がにじみ出るものだなあと思いました。話し方も、声のトーンも、「ああ、この人があの小説を書いたんだなあ」と思えるくらい、しっくりきたのです。

質問の時間で、はじめ質問が出なかったため、会場にいた古賀史健さんが糸井さんから指名を食らっていました。(笑)

その質問は「燃え殻さんは、手帳をずっと捨てないの?」というもの。その答えが、「捨てられないですね。少しの荷物がある方が、前に進める気がする」というものでした。

人やものとの縁が切れないタイプだと。これに対して糸井さんが、「そりゃそうだよね。だから大人になれないんだもん。大人って、子供を捨てちゃった人でしょう?」と反応していて、「なるほどー」と思いました。

そうか、大人って、子供を捨てちゃった人なんだな……。

そんな質問への答えも含め、「ボクたちはみんな大人になれなかった」は、燃え殻さんがにじみ出ている作品だったのだなあ、としみじみ感じました。

 

 

 

ものを書くこと。

作品であること。商品としての価値を高めること。

外側の人に対しての働きかけ。

傷を抱えて生きていくこと。

本当にもう、おなかがいっぱいです。頭もいっぱい。心もいっぱい。

とても有意義な時間でした。

未読の方は、ぜひ。

Have a nice day!