人間関係

11月22日「いい夫婦の日」を過ぎて思う、「いい夫婦」って何?

どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

11月22日は「いい夫婦の日」でした。Twitter上でも、「こんなものをもらった」「常にパートナーのことが大好き」といったような微笑ましいツイートが見られる1日でした。

でも、「いい夫婦」って、一体全体どういう夫婦のことをいうのでしょう。

「いい夫婦」=おしどり夫婦?

「いい夫婦」と聞いて、まずイメージするものは「おしどり夫婦」でしょうか。実際には、おしどりは全然「おしどり夫婦」ではないらしいのですが、まあそれはさておき。(パートナーが変わる鳥なのですよね、実は)

「おしどり夫婦」の意味は、「仲の良い夫婦」だそうです。芸能人夫婦でも、「おしどり夫婦」とされている人たちは、カップルのようなラブラブさを醸し出しているように思います。

「仲がいい」状態ってそもそも曖昧

ただ、この「仲がいい」っていう状態って、そもそも曖昧なものだよなあと思います。

男女としてラブラブな状態だけが「仲がいい」わけではないですよね。では、ケンカさえ勃発していなければ、それで「仲がいい」ことになるのかというと、それもまた違うような気も。

「仲良し」でなければいい夫婦といえないのか、という点も疑問です。そもそも、そんなことを言い出してしまうと、「いい夫婦」じゃない夫婦の方が多くなる……気がする……。(尻すぼみ)

 

「空気のような」は悪なのか?

「もう夫(妻)は空気のようなものだから」「恋愛感情なんてないなあ。いて当たり前だし」

そんな表現、よく見聞きしますよね。いい意味でも悪い意味でも使われる言葉だと思います。どちらかというと、悪い印象があるのでしょうか。「空気のような存在」=「冷めている」のような。

でも、「空気のような存在」は、イコール「冷めている」ではないと思います。

そんな存在であるならば、確かにことさら大切に扱っていないかもしれないけれど、ぞんざいにもしていないのではないかな。

空気=無視しているのではなく、空気=一緒にいることが当たり前ということでしょう。

「いや、うちは常に無視合戦の冷戦状態です!」ということであれば話は別ですが、それは感情が動いている時点で、「空気」ではないとも思います。空気にはいちいち感情を乱されないですよね。

互いが家庭で楽にいられるのであれば、「互いが空気のような存在」は、いい夫婦のひとつの形ではないかなあと感じます。

 

「病めるとき」のあり方で「いい夫婦」が見えてくる

「病めるときも、健やかなるときも」。結婚式で誓わされる言葉です。

これが、結局一番なのでしょうね。いい夫婦の日に合わせて読んだ記事でも、そういったことが書かれていて、「そうだよなあ」と思いました。

 

この、「割と今年は試練の年」、我が家の夫婦の現状です。

夫が精神バランスを著しく崩したことをきっかけに、共倒れギリギリのところで耐えつづけてきたここ5カ月。

現在はわたしまで引きずられてしまい、夫婦ともに「え、やばいよね」という状態なのですが、それでもできるかぎり、夫が愚痴りたいなら聞きたいとは思ってしまう。(しまう、という表現でいろいろくみ取ってください笑)

何とか彼が楽になれる道を探りたい。それでお互いが楽になりたい。

そんな思いは抱いています。(「仕事やめたいならやめればいい。一時的に主夫をやってくれたら、わたしは仕事を増やす」と言っています。彼が踏ん切らないけれど)

実際、いろいろありすぎて、わたし自身、夫への感情がよくわかっていないのは事実です。男女としてどうかと問われると、正直精神ダメージを受けすぎてしまったため、「大好きです!」とは今は言えない。

……という状態を、果たして「いい夫婦」と言えるのかどうかはわかりません。それでも、嫌いになったわけでなければ、惰性や情だけで「仕方なく」夫婦でいるわけでは、またないようにも思っています。

まあ、ただ、我が家の場合、夫側が「男女として好きでいられる」を夫婦である意味に強く求めているので、現状はごにょごにょなんですけれどね……。ここに至るまでの諸々が原因なので、わたしだけが悪いわけでも、彼だけが悪いわけでもないのがまた難しいところです。

でも、「ふだんは別に好きでも何でもすでにないけれど、あなたに何かが起きたときは力になれる」「あなたが苦しいときには、助けになろうと思える」という感情があるのかどうかは、「好き」よりも大きな判断基準になるのではないかな。

好きかどうかなんてわからなくても、そこに確かに積み上げた何かはある

吉田山田というアーティストの「日々」という歌をご存知ですか?

数年前、NHKのみんなのうたとしても流れていた歌です。

この曲は、実際に自分の祖父母夫婦の関係性を感じたことをきっかけに作られた曲なんだそうです。

そのエピソードが印象的。

「おじいさんが亡くなったとき、おばあさんに“いろいろあったけれど、でも愛していたでしょう?”と尋ねたら、思案して、“いや、愛してはなかったねえ”と答えた」

……というもの。

「好き」だの「愛」だのでははかれない「何か」が、夫婦の中にはきっと存在しているのでしょう。

自分の親夫婦を見ていてもそう感じます。また、わたしの祖母を見ていても。(精神を病んで40代半ばから無職になった祖父の代わりに仕事をし、家事・子どもの世話もこなしていた。おまけに父を下宿私大生卒業まで育て上げた)

「いい夫婦」=ラブラブで仲良しだけではない。その夫婦なりの「何か」が積み上げられてきているのならば、それでいいのかもしれません。

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