人間関係

いじめに遭っていて死にたい人、いじめに関わる先生へ。

新潟市の高校生が、いじめを苦に自殺していたというニュースを昨日テレビで見ました。
お父さんが遺書を公開し、その文面が紹介されていました。その中の、「本当はもっと生きたかったけど、もう生きていける気がしない」という部分が強く心に残りました。
まだ高校1年生。どれほど辛かっただろう。

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なくならない、いじめを苦にした自殺

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数週間前くらいだったか、夕刊のトップ面にあるコラムに、フィンランドではいじめに加担したことがある子供、また被害に遭ったことのある子供の数は日本に比べてかなり少ないことが紹介されていました。

あらためて調べてみると、いじめに加担したことがある子供は8%以下、被害に遭ったことがある子供は12%ほどだというデータがありました。

一方、日本では陰口・無視・仲間はずれを経験したことがあるという中学生は、多いときで80%にも上るという結果が出ています。
これを見ると、フィンランドの数値がどれくらい低いものになるかがわかります。

世界的に見ても、日本の数値はトップレベルのようです。
まったく誇れない話ですね……。

ただし、いじめ自体は日本特有のものというわけではありません。
日本人が陰湿な面を持っているだとか、村社会の民族だったからだとか、そのように一概には言えません。
どの国でも課題、問題になっているものなのです。

果たして、いじめは増えているのか

最近いじめによる自殺のニュースを、またよく目にするような気もしています。

しかし、いじめの総数としては、別段急増しているわけではないそうです。かと言って減ってもいないようですが。

調査データで、件数が跳ね上がる年もあります。しかし、これはいじめ自殺などの事件が起こると、学校側がアンケートなどでいじめの調査を通年より細かに行うからであり、決してその年に急増したということにはなりません。

確かに、いじめ自殺が起こるたびに、「あらためて学校で調査しました」という事例をよく目にしますね。
調査をすれば、発見できる件数が増えるというわけです。

フィンランドの「いじめ撲滅プログラム」、「KiVa学校プログラム」

フィンランドではいじめ問題に対し、Kiva学校プログラムという対策があります。
小中学校の教員は3人以上でチームを組み、そのチームを中心として、学校全体で撲滅プログラムにあたることが義務づけられているそうです。

そして、いじめが親に知らされるなどして発覚した際には、そのチームが他の教員とも連携し、実態調査にあたります。
内容が「第三者から見ても明らかないじめで」あるのか、「単純なケンカ、口論」であるのか、「発作的に起こったトラブル」であるのか、「誤解が原因となったケンカ」であるのか、見極めるわけですね。

その後、被害者、加害者、両者に対し、別々に聞き取り調査を行います。その際、加害者側に対しては、いじめの事実を責め立てるのではなく、自分自身で考えられるように対応します。何が悪かったのか、自分で気づけることを重要視しているのです。

もし傍観していた子供たちがいれば、その子たちとも話し合いの場を持ちます。
このようにして、事実関係がはっきりとするまで、何度でも話す機会を作るのです。

事実関係が判明したあとは、いじめをした子供には保護者同伴のもと、いじめの事実を認めるとともに、今後いじめをしないという内容の誓約書を書かせるそうです。

そして驚いたのですが、もしまたいじめが再発した場合、学校側はいじめを行った子供を転校させる命令を下せるのだそうです。日本だとあり得ない話ですよね。

また、該当生徒が中学、高校と進学する際には、進学先の学校にいじめを行った事実を知らせることにもなっているそうです。日本だと、加害者側の人権がどうのこうのなど、問題になってしまいそうな気がします……。

誓約書を書いたあと、一週間後には、いじめが再発していないかどうかが調べられ、そこをクリアしても、半年間は監視が続けられるそうです。

被害者の親には、学校側が調査した事実をきちんと知らせます。さらに、親側がさらにいじめの詳細情報を求めることも出来ます。

日本では、いじめが発覚したあと、親が裁判を起こしてまで事実関係を求める姿が見られます。
また、発覚当初に、学校側がきちんと調査を行っていなかったということも、事件のあとによく報じられています。むしろ、教員、学校側が否定し、認めないという風潮も見られるほどです。クラスでいじめが発生したという事実が明るみになれば担任教員の立場が悪くなりでもするのでしょうか……。

「いじめがクラスで起きたら、自分がクビになってでも止める」と言った私の昔の担任

私が小6の頃の担任は、当時まだ20代でしたが、生徒からも親からも人気のあるやり手の先生でした。

先生は、上に書いた言葉を発したことがあります。いじめが起きていたわけではありません。それでも、そのときの先生の本気度は、子供ながらに強く伝わってきました。今でも口調を思い出すことが出来ます。

確かに、自分のクラス、学校でいじめが起きているということはイヤなことだと思います。目を逸らしたくなる気持ち、認めたくない気持ちもわかります。自分の力不足だと責めてしまう先生だっていることと思います。

でも、いじめが起きたこと自体は先生の責任ではありません。いろんな子供が生活しているのですから、時としていじめが起きてしまうこと自体は、仕方がない部分もあると思います。

ただ、そのいじめにきちんと対応しなかったとしたら、それは先生の責任だと思います

まだ私の子供は幼稚園児ですが、これから先、もしも我が子がいじめに遭うことがあったとして、親の私たちは事実を受け止めることと、子供を支えることだけでもキ
ャパシティがいっぱいになるのではないかと思います。
それなのに、学校側がスムーズに調査、対応に当たってもらえなかったら、親子共に孤立した気持ちになってしまうはずです。

子供たちにとっては、家では親、学校では担任の先生がすべてです。砦です。
そのことを、大人たちはもっと意識しなければならないと思います。

そして、いじめが起こったときは、そのクラスの担任の先生の責任問題に移行しないで欲しいです。(実際のところどうなのかまではわかりませんが)
先生が毅然と対応出来るよう、日本の学校も何らかのシステムがあってもいいのではないかと感じます。

そしていじめに遭っている人。
何がどうあっても、死を選ぶことだけはやめて欲しい。
学校がすべての世界に感じることはとてもよくわかるけれど、それでも、学校はほんの1つの世界に過ぎません。
命を絶つところまで追いつめられているのなら、それ以外の逃れる手段を、何でもいいから選んで欲しい。
強く強く、そう思います。

最後に…私個人のこと

死ぬところまではいかないにしろ、絶望したくなる状況に陥った経験があります。(いじめという認識はなく、人間関係トラブルだと思っていたけれど)
小2のとき、愛知から大阪に転校したときと、中学1年の秋、中学3年の春のことでした。

どのときも、学校に行きたくなかった。
幸いというか何というか、私は心的ストレスが体調に出るタイプのため、微熱や腹痛を起こし、体よく欠席したり保健室に逃げ込んだりしていました。
当時は、その状況がいつか好転するだなんて思えなかった。

でも、渦中と関係ないところから友達が現れてくれたり、自分で違うところに出向いた結果、世界が開けたり、そのような小さなきっかけで、何だかんだと生きることが出来ました。

たぶん、こういうことを言っても、当事者である間は、「嘘だ」、「そんなうまくいくわけない」、「もうダメなんだ」という思いから抜け出すことは困難だと思います。「キレイゴト」だと一蹴したくなる人もいると思います。

けれど、時間によって、何がどう変わるかはわかりません。好転する流れがくるかもしれないのに、死んだらそこで終わってしまうのです。

まずは生きながらえていて欲しい。強く願います。

Have a nice day!