ライター業

「でも」とか「だって」を取り払うように意識することは、大切なことです

どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

子どもって、大人から見ると、本能のままに生きているように思えます。

今日は、「大人になっても本能に従ってみることって大事だよね」というお話。

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大人になってから、「挑戦」していますか?

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子どもの頃を振り返ってみると、「やりたい!」、「好き!」、「やってみたい!」という心に、ものすごーく忠実だったように思います。

そこに、「でも…」とか、「だって…」とかは、あまりなかったように思う。

まあ、ビビりの小心者なので、「怖そう」というネガティブ心はあったんだろうと思いますが、「失敗したらどうしよう」とか、「向いていないかもしれない」とか、そういう風には思っていなかったよなあ、と思うんですよね。

成長するに従って、だんだん、何かに飛び込んでみることや、挑戦してみようという気持ちに、ブレーキがかかりやすくなるように感じています。

ある程度いろいろなものをこなせるようになりますし、新たなことに足を突っ込んで、手痛い思いをしたくないということもあるのかな。

失敗が怖い、傷つきたくない。

さまざまな経験を経てきているからこそ、痛みにも敏感になってしまって、避けようとする心が働くのかもしれません…。

失敗は当たり前。というか失敗がないと成長もない?

ちょっと前に読んだ本に、海外では若者に「とにかく早く挑戦して失敗してこい!」という考えがあるということが書かれていました。

「失敗」は「当たり前」のこととして、経験してそれを生かしなさいよ、という考えが定着しているのですね。

日本では、どうなのでしょう。

私は、どうしても、「許す」という概念があるような気がしています。

「1回目は許す」みたいな。脅しみたいだ…。

確かに、まったく学習せずに何度も同じことで失敗し続けていたら、「おいっ!」となることはわかります。

でも、この「許す」という前提があると、「失敗」は「しちゃいけないもの」となり、「しないように回避しよう」という思考になるのもしかたがないのかなあという気がしますよね。

そして、今の若者は本当に失敗が怖い人が多いそうですね…。私、めっちゃそういう人ですが。(苦笑)

でも、失敗したからこそできる成長っていうのも、本当にあるものなんですよね…。

「でも」とか「だって」とか理屈で考えずに、やりたいことはやればいいじゃない

新しいことをやってみたい!と思ったときに、心に出てくる「でも」、「だって」。

これも、失敗を回避したい気持ちから出てくる言い訳フレーズです。

「でも、自分にそんな才能があるとは思えないし…」とか。

「だって、もう私は○歳だから、無理だよ…」とか。

子どもの頃って、そういうことは考えずに、まず「やってみちゃった!」っていうものでしたよね。

で、結果、「いや、向いてなかったわ」とか、「思っていたのと違っていたわ」とか、「思っていたよりおもしろくなかったわ」とか、経験から判断していたはず。

まずやってみて、好きかそうでないかを見極めていたんですよね。

実際、やってみないと、物事ってわからないものです。思ってもみなかったものが自分に向いていたということだってあるし、楽しいと感じられることだったということだって、ある。

これは、大人になっても一緒だよな、と思うのです。

むしろ、大人になっちゃって固定観念でガチガチになってしまいやすいからこそ、自分の「これ、おもしろそう!」という気持ちには、素直に従いたいなと思っています。

…まあ、ビビりですし、毎回びくびくドキドキしまくっているんですがね…。(苦笑)

ただ、時にはビビり精神を抑えて、「えいっ!」と行動力を見せることがあり、ライターの世界に飛び込んだこともそのうちの1つ。

飛び込んじゃえば、あとはもがいてチャレンジし続けるのみなので、ある意味楽になるんですよね。(新しい仕事の前は、いつでもキリキリしていますが…)

飛び込む前の方が、悶々としているものです…。

その世界が自分の目指したい方向と同じものなのか、思っていたものと違っていたのか。

他人の評判や口コミだけで判断せずに、自分の心のままに飛び込んで、実際に見聞きすることを大切にしたいと感じています。

Have a nice day!