女性の生きる道

いろんな「自分」を大事に。3兎を追ってもいいじゃない。

どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

しれっとブログ名を変更しました。今日はそんなブログ名のお話。

スポンサーリンク

■目次
3羽のウサギとは何を指すのか?

母親になった女性は「自分」が疎かになりがち

「カンペキ」は目指さずに、しっぽくらいはつかめるような自分になりたい

3羽のウサギとは何を指すのか?

9a6a6db59b516aac5bc126f4d9054080_s

「3兎」の3羽のウサギとは、わたしにとって、「自分自身」、「母である自分」、「妻である自分」の3つの自分のことを指しています。

「自分自身」には、プライベートでの自分だけでなく、仕事をしている自分も含んでいるイメージです。

要するに、「いろんな自分でいられることを諦めずに、追ってもみてもいいんじゃない?」というわたしの気持ちを込めた名前が、「3兎を追ってもいいんじゃない」なのです。

母親になった女性は「自分」が疎かになりがち

女性は、母親になったとたん、「常に母親であること」を求められがちだと感じています。

どのような状況でも、最優先すべきは子どものことで、次に優先すべきは家庭のこと。それが「土台」としてあって当たり前のもので、その土台の上にはじめて「仕事」がくる。

みんながみんなそう考えているとは言いませんが、やっぱりまだまだ「母親神話」みたいなものは根強く残っているよなあと思うのです。

それは、母親を取りまく人の言動から思うこともありますし、母親自身が、これまでの生き方の中で思い込んでしまっている部分もあるでしょう。

そうして、最後まで放っておかれがちなのが、他の誰でもない「自分自身」である自分です。


母親が本当に心から「行きたい」、「やりたい」、「食べたい」、「着たい」と思える欲求を満たせないことは、1つ1つの欲求自体はささやかなことだけれども、とっても多い。

そのことを、「ガマンしている」と自覚しているのならば、まだ良いのかもしれない。自覚さえしていれば、「ガマンならない!」と爆発することも可能だし、「やりたいようにやる!」と舵を切ることだってできるから。

1番怖いことが、無意識のうちに自分自身に「母だから」という枷をつけてしまって、知らず知らずのうちに自分の欲求を抑えてしまうこと。

自分の欲求に鈍感になってしまうと、いつの間にか「自分」が空っぽになってしまって、気づいたときには「自分」が本当に欲していることすら、わからなくなってしまうからです。

実際に、わたし自身に少しそういうところがあります。

日々の育児や家事に忙殺されているなと感じている日が続くと、「あれ、わたしは本当は今何がしたかったんだっけ」とふいに我に返るときがあるのです。

食べたいものも、やりたいことも思いつかない。そういう状況になるときが、ときどきあります。そのたび、「あ、やばいな」と思うことを繰り返しています。

本当に「自分」が空っぽになってしまわないように、意識して誰でもない「自分」であれる時間や心を大切にしていかなきゃな、と思うのです。

「カンペキ」は目指さずに、しっぽくらいはつかめるような自分になりたい

「料理の品数が常に多くて、掃除も常に行き届いているちゃんとしたママ」とか、「仕事もしているのに家のこともきちんとしているステキ女性」とか、「すごいなー、憧れるなー」と感じる女性は、周りにたくさんいます。

でも、わたしが「そこ」を目指すことは難しいと思っています。

どうしても、自分の中の「カンペキ」を目指すと、「母親である自分」や「妻である自分」に偏りすぎてしまうところがあるなあと感じているのです。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがありますが、せめて3兎のしっぽくらいはつかんでいられるような、「適当でいいからちょっとずつ掴んでおける」自分になりたいな、と思います。

Have a nice day!