どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。


昨日の記事が多く読まれて嬉しかったです。


今日は、「母性って絶対的なものじゃないよ!」というお話。





妻/母は夫、子供のためにあれ!という心の声

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日本では、今でも「母性絶対信仰」があるような気がしています。


男性は子供が生まれて即父親になれないのは、「まあ、産まないんだからしょうがないよね」って思ってもらえるのに、女性に対しては、「いや、母親だろ!」みたいな周囲の心の声が多い気がする。


母親が、「1人でショッピングに行きたい」「飲みに行きたい」と思ったとしても、それを声に出すと、「信じらんない。ちっちゃい子いるのに」と言われてしまったり。

化粧をしっかりしていたり、スカートやヒールを履いているだけで、「うわー、子供いるのにあんなオシャレして。自分の方が大事なんだな」って思われたり。

(まあ、実際、ヒールは慣れている+子供が急ダッシュをするタイプじゃないなどでないと、現実的に履けないわ!っていう人は多いと思う)


多くの女性が何らかの形で働く人が多くなった現代でも、母は夫や子どもを第一に考えて行動を取るべき、いや、取ることが当たり前、というような意識が、どうしてもあるのではないかな、と思います。


そういう意識を持っているのは、男女両方とも。
場合によっては、母親本人がそういう意識に縛られていることもありますよね。

何のとっかかりもなく、違和感やストレスもなく、そのような母親でいられるならば、問題はないと思います。
そのような母親でいることが幸せだという考え方の人もいるでしょう。

でも、そうではない考え方をしている女性が母親になったとき、違和感やストレスを感じるならば、「その声に縛られなくていい」と、私は思います。



ここぞというときに家族のために気持ちよく動けたらそれでいい。普段は自分本位でもいいじゃない


私自身は、母親になって、「うわー、案外私って自分本位な人間だったんだなー」と感じています。


「行きたい!」と思ったら行きます。場所によっては子ども連れで、連れていけない場合は夫に任せて。
(それは夫に預けられるようになったからです。夫、ダメ父だったんで…またこれは別の機会に)

「今これやりたいから」とか、子どもにも全然言います。
家にいて、四六時中子どもと遊んでやっているかというと、全然そんなことはなく。


長男が入園前、毎日午前中公園に連れて行っていましたが、それも「子どものため」というよりは、「仲良くなれたママたちと話すため」、「外に連れ出した方が私が楽なため」という気持ちの方が強かったです。

「子どものためにこれをガマンしている!」という意識はなく、夫に対しても全然「え、それ私やるのめんどくさい」とか言っちゃう。

外野から見られたら、とてもじゃないけれど「良妻賢母」とは言えない女だと思います。

でもね、それでいいんじゃないかと思っています。


だって、夫のための人生でも、子どものための人生でもないんですよね。

女性の人生は、女性自身の人生です。



だから、のびのび過ごせるやり方を選ぶことは、自然なことだと思うんです。

ただ、子どもを持つということは、その子どもに何かがあったとき、しっかり子どものために全力を出すということ、とは思っています。


まあ…夫に対しても…そうですね。(歯切れの悪さ…


その、「ここぞ!」というときだけは逃さないようにしたい


普段はできるだけ自分が納得するような、自分本位の過ごし方をすることで、ここぞというときには全力でそちらにベクトルを向けられるパワーと余裕を持ちたいと思います。


犠牲精神は美しいものじゃない!自分なりのバランスを見つけよう


「~のために、自分を犠牲にしてがんばる」

…こういうことが、日本では美しい、良いものだと語られがちです。

ブラック企業でがんばっているような場合もそういうところがありますよね。

ブラックでなくても、「会社のために、しんどいことを飲み込んでがんばることは素晴らしい!」みたいな。


別に、そのことを否と言うわけではありません。がんばれることは素晴らしいことだと思います。

でも、あまりにもその犠牲精神を賞賛するあまり、「犠牲にしてがんばるのは当たり前」となってしまうのは、違うよ、と思うのです。

誰かのため、何かのためにがんばることはステキなことですが、自分自身を大切にしながらがんばるのは、もっとステキなことだと思います。





Have a nice day!