どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

一昨日は東日本大震災から6年、昨日は我が家の長男5歳の誕生日でした。
毎年、この時期が来ると、いろいろと思い、考える私です。

スポンサーリンク


6年前の「あの日」、私が見たもの、考えたこと



DSCF1018


6年前、私は秋葉原の歯科医でアルバイトをしていました。

東京は震度5強。初めて経験する揺れに、歯科衛生士、患者さんと一緒に医院を飛び出して、通りにしゃがみ込んで揺れが収まるのを待ちました。

歯科医院の建物は古く、倒壊を恐れたためです。

路上駐車されている車は揺れ動き、電線もぶるんぶるん揺れていた。

強い揺れだと感じたため、まさか震源地が東北だなんて、想像もしませんでした。



テレビで今も放映されている「帰宅難民」になる寸前だった




駅前にとんでもない人が集まった様子が、上空から映し出された映像、しょっちゅう流れていましたよね。

私も、あの日、そこにいました。

秋葉原駅前も、新宿や池袋なんかと同じような人だかりでした。

公衆電話やタクシーには長蛇の列。

私は最悪徒歩で帰宅するつもりで、歯科医院で地図を何枚にもわけて拡大印刷してもらっていましたが、幸い、始発のバスに乗り込むことができました。

秋葉原→駒込行き。

駒込からは自宅まで歩ける距離なため、非常に幸運でした。

ただ、バスに乗れたことは、歩かずに済んで良かった、というレベル。所要時間は徒歩と変わらないくらいかかったことを覚えています。(2時間ほどかかりました)

でも、とりあえず家に帰れた。

ちなみに、夫はこの日、振替休日で在宅でした。夫の会社の人たちは、外回り営業で、てんでバラバラのところにいたため、ほぼ全員が帰宅できなかったようです。


エスカレーターが止まった。トイレのエアタオルが止まった。ネオンも消えた。



節電が叫ばれるようになり、駅のエスカレーターは止まりました。動いていても1ヶ所だけなど、制限がかかるように。

トイレのエアタオルも停止され、街のネオンも消されていました。

お店からはパンも卵も水も、しばらくの間戻ってこなかった。閑散とした売り場の棚を見て、地震当日よりも異常事態を意識するようになっていました。

住んでいる地域の水をミルクに使ったらいけない、という知らせが一時出もした。

私の友人は、スーパーで水を買い占めているおばあさんに、赤ちゃんを連れたママが1本譲ってもらうように懇願し、揉めているところを目撃したと話していました。

夏場には計画停電が行われて、私の居住地はなぜだか除外されていたけれど、一定時間ごとに電気が遮断された。

街には至るところに募金活動の人が立っていて、入れないことに罪悪感を持たせるくらいの迫力があった。


何でもかんでも不謹慎になって、花見も不謹慎、当時読んでいたブログも、多くの人が更新を「自粛」していました。


「自粛」しない人は糾弾されるのではないかと思えるほど、とげとげ、ギスギスしたものを感じてもいました。



スポンサーリンク




いつの間に、喉元を通り過ぎた?



大多数が向いている方向に、同じように向かない人のことを「間違っている」と攻撃するような雰囲気がイヤだった。

その攻撃性の高い雰囲気が、「緩んだな」、と感じたのはいつ頃からだっただろう。



いつの間にか、本当に、いつの間にか、しれっとエスカレーターが復活していた。

トイレのエアタオルも、いつしか稼働を始めていた。

そうして、街のネオンも、震災前の姿に戻った。



それは、電力消費の少ないLEDに変わったからだとか、いろいろな理由はあるのだろうけれど、傍目には、「前のように」、誰にも気づかれないまま戻ったように思えた。

そして、そのことに対して、周りが全然気づいていないように思えた。



今でも、当時使っていた駅を通り過ぎるときに、ホームを見ると、思い出す。

でも、今ホームに見える人たちは、みんな普通にエスカレーターを上っていく。何も感じることはなさそうに。

偉そうなことを言うつもりはない。だって、私だって、エスカレーターを使わないわけではないから。

私だって、傍目から見たら、「何も考えてなさそう」に見えるのだろうから。

でも、「何なんだろう」と、思わないではいられない。ねえ、いつの間に、この場所では「喉元を過ぎ去ってしまったの?」と。


3月11日以前と、以後。


今年も、3月に入って、11日が来るまでは、連日、被災地の現状や課題などがテレビなどメディアで報道されていました。

でも、それも、1日過ぎた12日になると、ぱたりと終わる。

ずーっと特番を組むわけにはいかないのだろうし、11日当日を区切りにすることもわからなくはない。

けれど、この、11日を境に、ぱたりと止んでしまうことが、ずっと私の中ではもやもやしている。

なんだか、「今年もおしまい」、と報道がノルマを達成したような雰囲気を感じてしまう。課題を終えた学生が、課題の問題について、その後考えることがないような、そんなイメージ。

実際に、そのようなことはないのだろう。考えている報道陣だってたくさんいるのだろう。

メディアの報道が、11日を区切りに一旦収まることは、仕方ないのだろう。

でも、私たち「受け手」は、四六時中でなくても良いから、考え続けたいと思う。


「何を」考えるのか。


それは、人によってさまざまで良いと思う。


たとえば、震災を踏まえて自分の生き方を見つめ直したのならば、そのことについてだって良い。

子どもとどう向き合っていくのかを考える、そんなことでも良い。

被災地に対して、どう心を寄せられるのか。力になれることはあるのか。そんなことを考えることだって、もちろん良い。


「一旦ここでおしまい」と、すぱーんと区切ってしまうのではなく、どこかで、あの日を境に変わっただろう「何か」について、ぐるぐる思考を働かせていきたいと思うのです。

考え続けているからといって、それが直接被災地や被災者の方の具体的な「何か」になるわけではないけれど、祭りのように1年の一時期だけ報道を見て、涙して、という受取り方よりも、その方が、ずっと「自分事」であれるような、そんな気がしています。




Have a nice day!