どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

幼い頃から、わたしは「繊細」、「打たれ弱い」、「脆い」、「弱い」と親に思われ、小学校高学年頃からは実際に言われて育ってきました。


「病気にならないように、図太くならなきゃダメだ」と、何度言われたことか。
「そんなことをいちいち気にしていたらダメだ」と、何度注意されたことか。


「弱いは悪」、「強くなることが必須目標」という認識が、刷り込まれていきました。


でも、ここ最近、ネットで「HSP」だとか、「内向型」だとかいう性質を立て続けに知って、「すとん」と腑に落ちたのです。


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HSP=とても繊細な人。気質であって、病気じゃない


HSPは、正式には「The Highly Sensitive Person」というそうです。意味は「とても繊細な人」


詳しく書かれているブログに、チェック項目が載っていたので、やってみましたよ。




結果は83。

60以上だと、HSPの可能性があるそうです。


がっつり当てはまりましたね……。


なお、Twitterから広がり、わたしのように「HSPというものを知った」という人も多いと思いますが、まだまだ日本では知名度が低い気質とのこと。


鬱や躁鬱と勘違いしている人も多いと、チェックリストを載せているブログにも書かれていました。



……ええ、20代前半、「これは躁鬱だ」と思ってましたよ、自分で。
(病院に1度行って逃亡したので、病名はつかなかったのです)


「なんだ、病気にならないように、っていうか、そもそも、もう『そういう人』ってことなんじゃん」
「育ってくる課程で打たれ強くなれなかったとか、そういうことじゃないんじゃん」



って思いました。


打たれ弱い子は運動部に入って勝ち負けの世界を経験すれば打たれ強くなるっていうじゃないですか。
わたし、万年文化部だったのでね……。


人の「大丈夫」という仮面を見破ってしまう



もうひとつ、「自分もHSPだ~」という方のブログを読んで、「わたしかっ!!!」と思ったので、ご紹介。




友達が弱っていることに気づくことが、妙に上手かったです。

特に、自分にとって大事な友達や好きな人に対しては、ただでさえ気に掛けているからか、察知能力が高かった。

「大丈夫~!」と言っている人の「大丈夫じゃない」を見抜いては、「……ねえ、捌け口くらいにはなるよ?」と、何度言ったことか。


「解決はしないかもしれないけど、話は聞くよ?」
「溜め込んだらダメだよ。吐き出すところがないなら、わたしに吐き出してくれていいんだよ?」



中学時代から、たびたび言ってきた言葉です。

大切だと思っている人の「大丈夫じゃない」を、見過ごすことができなかったんですよね。


それで、実際に「言う・言わない」は言われた側が判断すればいいのだから、と、とにかく「わたしがいるよ」というメッセージを発していました。


結果、めっちゃお悩み相談を受けることが多かった。


別にわたしの何が良かったってわけじゃないと思うんだよなあ。


ただ、自分自身が「吐き出せないつらさ」を感じていたから、「自分だったらどう言ってもらったら言える?」「どうしてもらったら吐き出せる?」「この子はどういう対応をしたら嬉しい? 少しでも楽になれる?」ということは、自然に考えていました。


わたしがしてきたことの中には、本当は自分が言われたかった・されたかったことも多いです。


ただ、如何せんわたしは「頼りになってマジメでしっかりしていて寄り添ってくれる子」ポジションになってしまっていて、「前向きでいいね。悩みなさそうでいいね」と言われまくっていたのですが……。


でも今なら思うよね。


いわゆる「前向き」で、「悩みがない」人間なら、そうじゃない人間に心底共感して寄り添うことなんか、できると思う???


……って。


「光! って感じだよね」と言われたことも数多く、「すみません、むしろ日陰のキノコです……」と思ったことも多かったなあ。


「仕事だから」と割り切れないのも「そういう人」なんだ


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上でご紹介したブログに書いてあったことで、「これも、そのまんまわたしだよ」と思ったことは、仕事に関すること。


わたしは、「仕事だから」と割り切って、本意ではないものを売ったり勧めたりすることが、本当に苦痛です。


だから、営業は無理、向いていないと思ってきました。(話すことが好きで人見知りがないので、何度新聞の営業をやろうよ! って言われたことか)


「営業」としての数字は苦痛だったけれど、今の仕事では求めたいと思える


好きなものを扱っているお店での接客販売は楽しかったです。
でも、そこでも、「クレジットカードを勧めてね」という会社側の指示に従うことは辛かった……。


アルバイトだったので、店長に言われるたびに「は~い」と返事だけして、あとは最低限「いかがですか?」と言葉を添える程度でしのぎましたが……。


中には、押しに弱いお客さんもいるじゃないですか。

そこにガンガンいくことは、弱さにつけいっているみたいに思えて、本当に嫌で。

そのものやサービスが、本当に自分自身でも「いい」と思えて、お客さんにとっても必要だと思えるならいいんです。

そうじゃなくて、「あくまで売上、数字を取るため」っていうものが、本当に無理すぎました。


でも、そういうのって、「甘え」って言われるんですよね。

特に、わたしは正社員の経験がないから、「社会人経験がないからそんなことを言えるんだ」とか、「そんな甘いことは言ってられないんだよ?」という言葉をよく言われてきました。


今でも、どこかに正社員としての社会人経験がないことに対して、「わたしは甘いことを思っているのかな……」と思ってしまうことはあります。


「世のため人のため」じゃないけど、そういう風に「相手の心を大事にする」ことを、最優先したらダメなの? 仕事ではそれは甘いの??

……って、悶々としていたなあ。


家族の機嫌に左右されることが辛い


あと、わたしが感じていることが、人の機嫌にメンタルが振り回されがちであるということ。


昔から、家族の機嫌に敏感でした。

どれだけ辛くても、悩みを抱えていても、リビングに入る前に深呼吸をして、気分を切り替えて、「おちゃらけた明るい娘」になるようにしていました。


なのに、不機嫌さをもろに出して、突然怒りの矛先を向けてくる父や、むすーっとしている母のことが、思春期の頃は納得がいかなかった。


「なんで娘は気を遣っているのに、大人の父や母は不機嫌をばらまくんだろう」

って思っていました。


1番自由に振る舞えて、その結果ぶつかることが許される場が、家族だという考え方もあると思います。

でも、わたしにはそういう場ではなかった。

「心配をかけまい」「不快にさせまい」という気持ちばかり働いて、学校でも家でも、「明るいハツラツとした子」でいようとしていたんですよね。


「強い子にならなきゃダメだ」と思ってもいたし。


押し込めていた心は、自分の部屋に持ち込んでいました。

見て見ぬ振りもできなかった、わけです。

思えば、だからこそ、ものを書くようになっていたとも言えるのですけれどね。



「繊細」は「弱くない」し、たとえ弱くても、それは決して「悪」じゃない



10代の頃は、好きな人と付き合えたら、こういう弱さも救われるのではないかと思っていました。

ええ、痛い。痛いし重いですね。(苦笑) でも、思っていたんですよ。


種村有菜世代の女の痛々しい恋愛観


でも、やっぱりそれで変わることはありませんでした。

そりゃそうですよね。病気じゃないんだもん。性質は、丸くさせたり尖らせたりすることは出来ても、まるっきり別のものにはならないのでしょう。


それでも、やっぱり「心を……開示できる場所が欲しいです……」と思っているところは、今でもあるんですけれども。


ただ、今は、「弱さ=悪じゃない」と思えるようになったので、少しましかな。

というか、感受性が強かったり、繊細だったりするだけで、別に弱いわけじゃないと言ってもいいだろうと思うこともあるし。


自分の気質を肯定できるようにはなってきたのは、大まじめにこういうことを話せる人と出会える機会があったり、小説や自分の考えを書いたものを、「いいね」「好き」って言ってくれる人がいたり、「よくそうやってとことん考えられるね」と言ってくれた妹(や、友人)がいたからだと思う。


自分の「ダメなんじゃないか」という部分を、受け入れるきっかけとして、やっぱり他の人の「え、いいじゃん、そこ!」っていう言葉は、とても大きい。


だから、わたしも言っていきたいと思っています。「そこ好き!」という言葉。


「ダメな部分」「短所」「直さなければいけない部分」だと思っていたけれど、「長所なんじゃない?」「強みに繋げていけれればいいんじゃない?」と思えるようになったのは、わたしにとって、大きな大きなことでした。



どうやら、HSPさんはそうではない人に比べて、「自分の心に嘘をついたらダメージ食らうよ~」という人が多いようですので、わたしも自分に出来る限り正直に生きていきたいと思います。


願わくは、もっとこの気質がメジャーになって、「あれ、これ病気じゃないのか!!」って気づける人が増えるといいなあ。





Have a nice day!