どうも、よつばくま( @yotsubakuma)です。

夏休みの宿題に、今も昔もある読書感想文。これが好きじゃなかったっていう人ってたくさんいますよね。

今日はそんな、読書感想文についてのお話。


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■目次
読書感想文の書き方を教えること、賛成? 反対?

大事なことは自分の意見や感情を持つこと、それを言葉にできること

読書感想文における「自由」を取り違えてはいない?

おまけ

目次5



読書感想文の書き方を教えること、賛成? 反対?



昨日、こういうツイートを見ました。




この方が見たというRTはこちら。






つまり、型としての「書き方」を教えることが、良いのか悪いのかという議論なわけですね。


どう思われますか?

わたしは、「是」です。書ける子は自由に書かせたらいいと思うんですけど、先ほどのツイートをした子のように、「書き方がわからないから書けない」子もたくさんいると思うんですよね。


何も手がかりがない状況で、「はい、どうぞ」って言われても、自由にできる力が備わっていなければ動けなくなってしまうだけではないかなあ。


ほかにも、このツイートに対して、こういう意見を出している人がいまして。




この意見に、「本当だよ!」と同意しました。


幼子に、いきなり「絵とはこういうものですよ」と教えなくていいとは思う派です。それは、「開拓していく経験」があることはいいと思っているから。


はじめからのびのび自由に描ける子もいますからね。ただ、授業や講義として「思うように描きなさい」と全員にいうのは、経験値が少ない子は迷子になってしまうだけなのだろうと思います。



このツイートで言及されている体育ですが、このときに、わたしがまさに「迷子」になっていました。

走り方などは「こういうフォームがいいよ」と指導を受けられました。しかし球技に関しては、個々の技術的な指導は受けるけれど(シュートの入れ方だとか)、試合形式のときの動き方なんかはおざなりだったんですよね。

そのため、圧倒的に経験値もなければ運動センスもないわたしは、試合形式の授業になると、とたんに自分がどう動けばいいのかわからなくなってしまっていたのです。

「思うように必要なところに動きなさい」って言われても、一体何をどうしたら、という状況。

でも、自由に動けている子たちだって、何も好き勝手にできているわけではなく、「こういう風に動くものだ」とか、「このときは、こう」みたいな経験則があるからこそ動けるものなんですよね。


自由にやらせる前段階に、一定の「型」を教えて、経験を積ませることは必要なのだと思うのです。



なお、こんなアドバイスがありましたよ。




小学校低学年向けのアドバイス。

こういうステップを踏んでいけば、「自分の思考回路を整理して、思ったことを形にする」ことができるようになっていくのではないかな。



大事なことは自分の意見や感情を持つこと、それを言葉にできること


子どものうちから育んでほしいな、育む手助けをしたいなと思うことは、以下のふたつです。



  • 自分の感情や意見を持てるようになること

  • 感情や意見を人に伝えられるようになること



特に、日本ではまだまだ協調性が重視されていて、とびぬけた意見や価値観は持ちにくいし、持っていたとしても表に出しにくいものではないのかな。(今の学校教育がわかりませんが)


「こういう考え方をしていられれば、万事OK」みたいになってしまうと、自分の頭でものを考えることを怠けてしまうのではと思います。

長いものに巻かれていれば大丈夫、安泰。みたいな。



考えることは、考えなければできるようにならないと思っています。

そうして、それを言葉に表すことも、鍛えていかなければできないものではないかと思っています。


わたしは、よく「考えていることを言葉にすることが得意だよね」と言われてきましたが、それは何もはじめから得意だったわけではないと思う。

きっと、小1の頃に手にした「あのね帳」の時代から、「感じる」→「とことん掘り下げて考える」→「もやもやしていたものを言葉にまで固める」→「表現する」ことをとことん繰り返してきたからじゃないかな。

わたしの場合、それが好きだったし、認められて褒められてきたから、より一層するようになったんですけれども。


だからこそ、子どものうちから、「考える」→「表現する」経験を積むことは大事だと思っているし、自分の子どもにも積ませてあげたいなあと思っています。


そういう意味では、読書感想文は、別にはじめから感想文じゃなくてもいいとすら思っています。

先ほどの母親の「読書感想文の書き方のコツ」でもありましたが、大人が質問して、それに子どもが答えるだけでも、立派な経験だと思うんですよね。

だから、はじめは感想文じゃなくて、インタビューでもいいじゃん! という思いもあります。


あと、「感想文」だと思い込まずに、「読んだ本を友達に勧めよう!」っていうスタンスで文章を書いてみてもいいじゃん、と思っています。


「クラスのみんなに勧めたい本を紹介しよう文」。


これ、集まったら楽しそうだなあと思うんだけれど。

なお、読んだ本がおもしろくなかったら、「これはオススメできなかった本です紹介」でもいいと思う。(笑)

でも、同じ本を違う子が読んだらおもしろいことだってあるから、それがおもしろいところでもあるんだけどね。




読書感想文における「自由」を取り違えてはいない?


そもそも、このワイドショーで取り上げられていた「自由」論。この「自由」が、そもそもあるべき自由とずれていると感じました。

読書感想文においての「自由」って、書き方の問題じゃないと思うんですよ。


自由であるべきは、その本の読み方や感じ方。その子が本を読んで得た感情や意見じゃないでしょうか。

たとえ、その感情が大人側から見て「ちょっとこれは……」と思うような内容のものであっても、そこには踏み込まなくていいと思うし、踏み込んではいけないと思う。



でも、実際にはどうなんだろう。

たとえばあまりにもセンセーショナルな感想文が提出されたとして、先生はそのまま受け取ってくれるのかなあ。

「ここは、こう思ったんじゃないの?」とか言われて、丸く収まるように直されたりしないのかな。

どうなんだろう。

願わくば、倫理的に「えええ?」と思うような内容のものがあっても、まずは受け入れてほしいなあと思う。

「なんでこう思ったの?」って尋ねて、思考を深める手助けをしてほしい。

なんて、思います。


なお、わたし、中一か中二くらいに選んだ本がなかなかの本で、感想文の内容もなかなかのものだったと思う、先生的には。

でも先生はそれを褒めてくれて、コンクールに出してくれたんだよなあ。大人が思う「いい生徒」じゃない内容だったと思うから、認めてくれて嬉しかったです。


ちなみに、その本は今は絶版してました。

 



親とは何か。(出版社ページへ)


1982年発刊だったんだなあ。すごい古い本で感想文を書いたものですね。(当時2000年代初頭)

図書館で偶然出会った本でした。

こうやって、課題図書に限らずにいい本に出会えることも大切な経験ですね。

先生や親は、課題図書以外でも、「こんな本があるよ」「こういうのもあるよ」って子どもに教えてあげられる存在であってほしいし、ありたいものです。

(でも、今の大人ってそもそもが本を読まないんですもんね……)



おまけ



なお、本を読みこんでほしいと思うなら、こういうものもありますよ。


2017 第13回 大阪こども「本の帯創作コンクール」


これも、読んだ感想を言葉にするいい経験になると思います。

むしろ、キャッチコピーを考えなければならないようなものなので、より一層読み込む必要があるのでは。

こっちを宿題にしてもいいと思うなあ。




Have a nice day!