どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

浅いことも深いこともバカなこともマジメなことも考えてばかりです。引きこもっているとダメですねえ。(まあ、常に考えているんですけれども)

スポンサーリンク


style="display:block; text-align:center;"
data-ad-layout="in-article"
data-ad-format="fluid"
data-ad-client="ca-pub-3814819541841513"
data-ad-slot="9408875687">





■目次
その意見や価値観は、誰のもの?

他人の意見に同調しすぎる人って、本当に同意しているの?

「この人」の発言なら何でもかんでも正しい、は怖い

自分の頭で考えることって、しんどい……かもしれないけれど

「自ら考えられる子になってほしい」と思うなら、大人も考えられねばね



その意見や価値観は、誰のもの?


意見や価値観は、人それぞれにあるものです。ニュースに対する感じ方、生き方や仕事観、育児についてなど、人によって考え方は異なることが当たり前ですよね。


DSC_1056


ただ、自分自身の考え方が、すべて自分から生まれ出てくるものではないと思っています。いろんな考えや意見に触れ、心の中に蓄積させた上で自らを見つめた結果、「わたしの中に生まれた価値観・意見はこういうものでした」ということだって多いですよ、ね?


これは創作でも同じことで、音楽だろうと絵だろうと文章だろうと、「完全なるオリジナル」って今は別にないわけです。これだけ歴史があると、「先駆者」という人がたくさんいて、そういうものにたくさん触れて見て知った結果、自分なりの「オリジナル」が生まれてくるのだと思っています。

そのためには何よりも、まずは「咀嚼して飲み込んでから、熟考して吐き出す」必要があります。でも、「咀嚼すらせずに丸飲みして吐き出してもみない」人って多いのではないかな。

他人の意見に同調しすぎる人って、本当に同意しているの?


何を言われても、「そうだよね」と同意してしまう人がいます。そのこと自体を悪だと責めるつもりはありません。

でも、あまりにも「そうだよね」で済ませているのを見ると、「本当に?」と感じます。


本当にそう感じているの? そこにあなたの感じた「何か」はないの?


そう思うのです。


たとえば、Twitterで何でもかんでもリツイートをしている人は、そのツイートに対して思うことや感じたことってないのかなあ、とか。特に意見や議論を呼ぶような内容のツイートを拡散しているときに、「この人はこれに本当に同意しているのかなあ?」と感じることがあります。


「この人」の発言なら何でもかんでも正しい、は怖い


あと怖いなあと思うのは、「あの人が言っているから賛成」という考え方です。自分にとって信頼のおける人の言葉や考え方が絶対的なものになることは起こりうるとは思います。

それでも、その発言や考え方は、一度自分の中に取り入れてみて、自分にとって正しいかそうでないか判断する冷静さは必要なのではないかなあ。


これが、単に自分が好きな人ならまだいいかもしれません。(それでも度を超すとそれはもう宗教みたいになってくると思いますが)

「この人は権力を持ってるから」とか「この人に賛同しておけば棚ぼたに預かれるかもしれないから」とか、そういう思いを持った上で「とにかく賛同しとこう」となってしまうことが、わたしは怖い。そうした内に、考える力が衰えたり、麻痺したりしてしまう可能性があると思うから。

「一理あるけれど、この考えには賛同はできないなあ」とか、ひとつひとつ吟味できる自分でありたいと思っています。

せっかくいいことを発信してくれる人がたくさんいるのだから、どうせなら自分の糧にしたいよね。


自分の頭で考えることって、しんどい……かもしれないけれど


自分の頭で考えて意見を持つことって、慣れていないとしんどいと思います。「自分と近い考えを持っている誰かの意見」に、「そうですそうです」と単純に同意していた方が、それはもちろん楽でしょう。


自分の頭で考えて意見を持つことは、ふだんから意識して行なっていないとできるようにならないし、さび付いていくものだと思います。そうして、その手間や苦労はした方がいいと、わたしは思う。


日頃から自分の頭で考えて意見を持つことを意識していれば、周りの流れがおかしくなってきたとしても、「それはおかしい」と気づける可能性が上がると思います。

そこまで大きなことではなくても、「む、これはおかしい。あやしい」と感じられる能力が磨かれるのではないかなあと思うのです。


「自ら考えられる子になってほしい」と思うなら、大人も考えられねばね



親が子に願うものに、「自分で考えられる子になってほしい」というものがあります。それを子供に望むのなら、親である大人も、自らの頭で考えられる人間でいなくてはいけませんよね。そうした姿を子供に見せられる存在でありたいです。


多数派の意見や世間の流れ、先生の言葉にただ従うのではなく、親は親の頭で考えて方針を決められるようでありたい。育児に不安はつきものだけれど、ネットや雑誌に溢れる正解じゃなくて、参考にしながら自分たちの正解を探りたい。

その上で、子供自身に「どう考えてる? どう思う?」とヒアリングできるような親でありたいです。


思考停止にはなりたくないなあ。それがたとえ答えのでないものであったとしても、わたしは考えることをやめたくない。そのときどきの自分の考え方・感じ方を大事にしていきたいなあ。


Have a nice day!