どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。

子育てって、大変ですよね。いくら子どもをかわいいと思えていても、楽しいだけでは回らないですよね。

大阪府和泉市であった悲しい出来事

決して対岸の火事ではないこと、育児中の母親なら頭によぎる人も多いのではないでしょうか。



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■目次
ひとり泣きたくなる夜も昼もある

辛さを軽くしてくれるのは、どこかの誰か

スマホでもテレビでも雑誌でもマンガでもいいから、意識を「外」へ

ひとり泣きたくなる夜も昼もある


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産後、わたしは1ヶ月程度里帰りをさせてもらえました。里帰りから帰ってきたあとも、ほぼワンオペではありましたが、思い詰めるほど追いつめられることは幸いにしてありませんでした。

あとで述べますが、それはわたしが家族以外の外の人の存在に恵まれていたからでもあります。


それでも、どうしようもなくなったときがあります。


長男が0歳の頃、住んでいたのは5階建てのアパートの4階。ファミリー層が住むようなところではありませんでした。

赤ちゃんを育てたことがある方ならわかるかと思いますが、0歳の赤ちゃんは、生後半年を超える頃から、泣き声が格段に大きくなります。

そうしたことが関係していたのかどうかは定かではありませんが、昼間にも関わらず、上の住人から何かと大きな音を立てられるようになったのです。



あの天井から鳴る音は、本当に怖かった。

時には、開いた窓から下に向かって怒鳴られたこともあります。引っ越ししてきたときに挨拶に行き、留守だったために置いてきた品物に苗字を記載していたため、名指しで怒鳴られたことも。

平日の日中です。もしかして、夜勤の方で、昼間は寝ているのだろうかと思い、管理会社に問い合わせてみましたが、入居当時はそんなことはなかったとのこと。


そのうち、長男が泣き出すのが怖くてたまらなくなり、泣き出すと叩かれる天井の部屋から逃げ出し、浴室前で抱いたまましゃがみ込むようになりました。


「お願い、泣き止んで、お願い、泣き止んで……」


呪文のように抱いたまま呟き続け、その呟きはどんどん胸の内側でイライラに変化していきました。

脱衣場に寝転がしたまま(長男は1歳頃までずりばいすらしなかった)、「もう嫌だ!」とトイレに駆け込んで泣いたことも。


上の住人への恐怖感から、家にいること自体が怖くなりました。

そうして、「そのうちわたし、おかしくなっちゃうんじゃないか」という怖さも感じ始めていました。手こそあげなかったけれど、あげてもおかしくないくらい、切羽詰まっていました。


……そうして、最終的に今の家へと引っ越したのです。



これはわたしのケースですが、こういった外的要因がなくても、些細なことの積み重ねで、乳幼児、特に0歳児を育てている方は、簡単に追いつめられてしまうリスクを抱えていると思います。

特に0歳児であれば、仕事を持っている方でも、育休中であることが多いでしょう。そのため、専業主婦の方も育休中の方も、「今は家事育児はわたしの仕事」だと抱え込んでしまうことに繋がるのだと思うのです。

子どもはかわいいはずなのに。かわいいと思えないとおかしいのに。

「辛い」と思う自分の感情すら否定して、どんどん行き止まりへと自分を追いやってしまう。そんな方は、きっとたくさんいます。そう思ってしまうことは、母親失格ではないのです。


辛さを軽くしてくれるのは、どこかの誰か


長男を産んだときのわたしは、周囲の環境に恵まれていました。

徒歩5分程度のところに、土日もやっている支援センターがありました。昼ご飯を持参すれば食べられるスペースがあり、1日中居座っていられる場所です。

近さもあり、わたしは長男が0歳の頃、生後2~3ヶ月頃からはこの場所に入り浸っていました。

施設には支援員さん(先輩ママ)がいて、どの方もそのママの育て方を決して否定することなく、時には代わりに抱っこしてくれ、愚痴や悩みを深刻にならないトーンで聞いてくれました。



そして、わたしには友達も多かった。

保健センター主宰のマタニティ教室で出会った彼女たちは、長男と誕生日が1~2ヶ月違い。マタニティ期にはランチをし、産後はこの施設で入り浸る仲間になりました。

情報の共有はもちろん、「全然ご飯食べてくれない」「昨日の夜寝られなかった、死にそう」など、ざっくばらんに吐き出し合っていました。

「上の住人が怖い」と最初に吐けたのも、彼女たちでした。「ギリギリまで帰らないでいいよ。一緒に遊んでよう」と言ってくれた言葉に、どれだけ救われたか。




これらは、わたしが環境面で恵まれていたこと・対人スキルがある方だからこそであることは承知しています。

でも、どんな人でも、きっとその辛さは、「誰か」が軽くしてくれるものだと思うのです。


買いものに連れて行くときに、通りすがった人に「かわいいね」と話しけられるだけでも、気持ちが軽くなりませんか。

「おかあさん、大変だね。がんばってるね」の一言で、一時的に疲れが吹っ飛ぶことはありませんか。


友達を作らなきゃと思わなくてもいいから、せめて、「誰か」と関われる機会があればと思うのです。そして、それは究極、ネットの中だっていい。

わたしは産後同室だったママたちとFacebookでやりとりもしていました。それだって、赤ちゃんと一対一の世界に閉じこもらずに済む方法のひとつです。


Twitterでもいい。実家の家族でも、兄弟姉妹でも、気楽に関われる昔からの友達でも誰でもいい。


「誰か」がひとりでもいれば、一瞬でも深呼吸ができる。その一瞬の深呼吸が、子どもも母親も救えるものだと思うのです。


スマホでもテレビでも雑誌でもマンガでもいいから、意識を「外」へ


サイレントベビーやら、赤ちゃんに向き合い続けるべきやら、世の中には母親を追いつめる理想論が溢れかえっています。

でも、それらに追いつめられすぎて、結果的に虐待や心中に走ってしまっては元も子もありません。

いつでもずーっと赤ちゃんのことだけを考える必要はないと思っています。もちろん、言葉が話せない赤ちゃんであっても、コミュニケーションは必要でしょう。でも、それは無理をして赤ちゃんが起きているときは常にしなくてはならないものではありません。

わたしは夜間の授乳や、授乳後寝てくれず抱っこしたままゆらゆらしているとき、読み慣れたマンガを読んで過ごしていたこともあります。(スリングに入れていたので片手が使えました)

楽しいことも並列させることで、ちっとも寝てくれない長男に気を荒立たせずにやり過ごせていました。



気持ちのベクトルが子どもに向きすぎると、時には双方にとって不幸なことになるのは、赤ちゃん時代だけではありません。

幼児になった今でも、わたしの気がうまく外に逸れているときの方が、円滑に親子関係が進むことだってあるのです。



どうしようもこうしようもなくなる前に、どうかどうか、「外」に意識を向けられる手段を取ってほしい。

周囲の声は、雑音だと思ってほしい。それが、子どもを守るためなのだと思うときがあったって、いいと思います。





********


悲しい事件が起こるたびに、胸が潰れる思いがします。

また、今まさに寝られずに赤ちゃんを抱いたまま、途方に暮れている母親を思います。

誰だって、一寸先に何があるかなんてわからない。理想論や正論では語れないしんどさは、誰にだってある。

家族に吐ける人は家族に。家族に理解を求めることで余計にストレスがかかるようならば、誰かに。

どうか、SOSを発してほしいと、切に、切に願っています。