埼玉県に住む子育て世帯には、「パパママカード」という子育て応援カードが配布されています。
さまざまな店舗で特典が受けられるのですが、その中の1つ、ゲオでは旧作が1作無料で借りられます。

ということで、上映当時赤子育児中で行けなかった「レ・ミゼラブル」を借りてきて観ました。
そしてまんまとはまって、レンタル期間中に3回観ました。

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子どものころ「ああ無情」を読んで挫折していた私




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たぶん中学に入る前だったと思います。図書館で、「そろそろ大人の本を読んだら」という親のススメだったのか、「ああ無情」を借りてきた、という記憶があります。
で、読めずに挫折した、という記憶も。

何でまたいきなり大人向けの「ああ無情」を借りてみたのかも今ではさだかではないのですが、これは小学生には読み切れない物語だろうなあ、と映画を観て感じました。

コゼットの境遇に寄り添って読むことは可能だろうと思うけれど、ジャンバルジャンの懐の深い善良さや、エポニーヌの健気さなどは子どもの頃の自分には理解しきれないものだっただろうな。

私はエポニーヌに共感し、ガブロ―シュに泣かされました。
あとはもちろんコゼットの母、ファンティーヌにも……。



ジャヴェール警部の正義感に思う。自分の思考を働かせる重要さ


泣かされるというわけではなく、考えさせられるという意味で深く印象に残ったのが、ジャヴェール警部でした。

ジャンバルジャン寄りで物語を追っている立場からすると、完全に悪役ポジションです。
でも、実際はジャンバルジャンは法を破って逃げている身分になるため、世間一般的に「正義」なのは警部なんですね。

警部自身も、自らが正義だと強く思い込んで生きています。
でも、それは「法が正義だから」という理由だけで、思い込んでいただけだったのです。
その程度の自分の正義は、一度ひびが入ると簡単に割れてしまうようなものです。


結末はここでは避けますが、これって、現代社会でもいる人の姿だなあと思いました。

たとえば、戦時中に社会が「この戦争は正義だから」という流れに動いているとき、深く考えずに賛同していた一般大衆とか。

たとえば、自分たちもされていたからという理由だけで、愛があればオッケーだと体罰を繰り返す教師だとか。

そういう、「自分自身の本当の脳みそで考えずに判断してしまっている人」の姿だなあと。

そのことを自覚していたらまだ良いのですが、自覚せずに自分の意思でこれが正義だ! と思い込んでしまっていることって、怖いことですね。


思考停止という言葉がときに使われているのを目にしますが、これもある意味で「思考停止」の人間だと思いました。






原作が読みたいと思って、図書館で借りてきました。文庫本で4冊。今度こそ読めるかなー。







手元に持っておきたいくらい好き。楽曲もどれも素晴らしかったです。
とりあえず「民衆の歌」を原語で歌いたいです。カラオケで熱唱したい……。

ちなみに、マリユス役のエディ・レッドメインは今上映されている「ファンタスティック・ビースト」の主演の方ですよ!

ABCの友のラストも心に響きました。学生闘争みたいな若者の戦いって、私の世代には無縁のものだったなあ。(ゆとり世代)


Have nice day!