映画レビュー

【映画】「天才作家の妻」が描く“夫婦”の関係性

夫婦って、何なんだろう。そんなことを、ここ数年ずっと考え続けています。

どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。2019年1月26日に公開された映画、「天才作家の妻」を観てきました。

ライターとして、また創作活動をつづけるひとりとして、女性として、妻として。予告編を見たときから気になっていた作品でした。

今このブログを読んでくれているあなたは、結婚しているでしょうか。それとも独身でしょうか。パートナーがいる方は、いい関係性を築けているでしょうか。「いい関係性」って、どんな関係性でしょうか。

それぞれの間にしか正解がない関係性、それが夫婦や家族なのだと思っています。

「天才作家の妻」ってこんな映画

※予告編で触れられている程度ではありますが、ストーリーの内容について書いています。ご注意くださいませ。

連れ添って40年が経つ夫婦。ある日、小説家である夫ジョセフがノーベル文学賞受賞を知らせる電話を受けます。

喜ぶ夫婦。しかし、友人を招いたパーティーで、妻ジョーンが見せる表情はどこか複雑そう。実は、「天才作家」の裏側で執筆してきたのは、主に妻のジョーンだったのです。

身に余る栄光に、夫ジョセフは有頂天に。反対に妻ジョーンは苛立ちを覚えていきます。苛立ちが表出し、感情を互いにぶつけあってケンカをすることも。

授賞式はもうまもなく。夫を支える妻としての立場を守り続けるのか、はたまた真実を世の中にぶちまけるのか。夫婦の関係性の変化は……?

「夫婦」というひとことで語れない関係性

「いい夫婦」と聞いて、どのような夫婦を思い浮かべるでしょうか。世間一般的には、「おしどり夫婦」こそがいい夫婦であるかのように思われているような気がしています。

いつまでも夫は妻を愛し、妻は夫に惚れている。恋人気分を忘れない、夫婦。

確かに恋人のような関係性の夫婦は素敵です。目に見えて仲がよさそうなので、わかりやすく「いい夫婦」だなあとも思います。ただ、「いい夫婦」って、決して恋人夫婦だけじゃないよね、と思うのです。

たとえば、わたしが思いつくのは樹木希林さん。ともに暮らしていたわけではなく、恋人のような甘い雰囲気もなく、それでも縁を切ることもなければ、切れることもなかった。あの夫婦には、あの夫婦にしかない関係性の形があったのだろうと思っています。

「天才作家の妻」に出てくるジョーンとジョセフも、ひとことで関係性を語れない夫婦でした。相手を好きなのか、もううんざりなのか。時に自分でも本心がわからなくなっていたのでしょう。大喧嘩をしていたのに、一本の電話をきっかけに感動を分かち合い、和解する。それでも確かにジョーンのなかに苛立ちが溜まっていく。

わたしは結婚してから10年も経っていない「まだまだ」なレベルですが、すでにこのパートナーに対する感情の複雑さに、リアルさをひしひしと感じました。

「光」もまた、苦悩を背負う

この映画を観た人、特に女性は、夫ジョセフに対して悪感情を抱くでしょう。映画の舞台は1990年代なので、現代の価値観とは異なりますが、ジョセフは今でいうところの「モラ夫」と認定されてもいいだろう自分勝手さで、時に幼稚さも感じます。

妻が書いた小説を自分の名で世に出し、名誉も栄光も自分のものにするジョセフの姿には、「いやいやいや、ジョーン、なんでこんな夫と夫婦でいられるの……」と思えて仕方がありませんでした。

しかし、徐々に紐解かれていくふたりの過去を知るうちに、安易に夫ジョセフを糾弾できない苦い気持ちが沸き起こります。

妻の才能を傘にして、世間に認められてきた夫。
女流作家は大成しないという時代に生まれた才能あふれるジョーンと、芽が出ずくすぶっていた作家であり教授のジョセフ。

ふたりが選んだ執筆スタイルは、恋に落ち夫婦になったふたりが編み出した「そのときの最良の方法」でした。しかし、長年続けられてきた光と影の関係性は、妻だけでなく夫のことも蝕んでいたのだろうと思うのです。

誰にだって、自尊心があるでしょう。自己顕示欲もあるでしょう。ものを書く人間の端くれとして強く思うのは、自分で書けるにもかかわらず、「売れる」ためにゴーストライターに書いてもらうなんてことは、きっととてつもなく苦しいことだったはず。いくら自分の名前が世間に知れ渡り、自分の名前で認められたとしても、そこには虚しさがあったのではないかと思うのです。

ただ名声がほしいだけの人であれば、ゴーストライターを仕立て上げても平気でいられるのでしょうけれども。創作を愛している人にとって、自分の作り出したものが認められないつらさは、何事にも代えがたい苦しみがあるのではないかと思います。

映画はほぼジョーン側に立って描かれているので、夫ジョセフはほぼ悪役に近い印象になってしまうのですが、ただ単純に「このクソ夫!」と責め立てることはできないな、と思いました。

「好き」や「嫌い」を超えた先にこそ、夫婦の滋味深さがある

2014年に発売され、NHK「みんなのうた」にも選ばれた、吉田山田の「日々」という歌があります。

「日々」は、山田さんが幼い頃よく遊びに行っていた老夫婦の様子から作られた歌。当時、歌の裏話として知ったエピソードが印象深かったのです。

少し前におじいちゃんが亡くなってしまったのは聞いていたんですけど、闘病生活が結構激しかったみたいで。それをおばあちゃん1人で看病していたみたいなんですね。嫌になって何度も投げ出してしまおうかと思ったっていう話も聞かせてもらって。そこで僕がおばあちゃんに「それでもおじいちゃんのこと、愛してたでしょ?」って聞いたら、おばあちゃんはしばらく考えて「愛してはいなかったね」ってボソッと言ったんです。その言葉が僕からしたらすごくショックで。でも結婚指輪は薬指が細くなっちゃったから、中指につけてかえてまでもずっとしてるんですよ。
引用:吉田山田 『吉田山田』インタビュー

当時も言葉にぱっと言い表せない感情を抱いたのですが、「天才作家の妻」を観ながら、またこの曲のことを思い返していました。

「好き」や「嫌い」や「愛」を超越してしまったところにある関係性。パートナーのことをどう思っているのかなんて、シンプルにはもう言えない関係性。時には「離婚したい」と思い、時には「いなくなられたら困る」と思う。相反する感情を抱えながら、それでも共に、時に別々に歩みつづけている。

不満がないなんてことはない。だからといって、「はい、さよなら」と簡単には割り切れない。複雑極まりない感情を抱きながら築いていく関係性は、きっと味わい深いものなのになるのでしょう。

自分の親、そして祖父母。観終えたあと、いろいろな「長い時を重ねてきた夫婦」のことを考えつづけていました。

女性、夫婦、「書く人」に観てほしい

「天才作家の妻」は、「内助の功」と「自分の活躍」との狭間で揺れ動く女性や、すべてのパートナーがいる人に観てほしい映画です。

パートナーを影で支えることと、男女平等。今は内助の功を強いることは女性を貶めることだという認識もあるでしょう。ただ、「支える」ことに純粋に喜びを抱く女性だって、まだまだいるだろうとも思うのです。

「夫婦」として共に生きること。そのなかで、しかし「ひとり」として自立した人間でいつづけること。現代は、この両立を目指そうとしているところなのかなと思います。夫婦間ならではの甘えや依存も否定はしないのですが、自分が「個」として生きることを、男女ともに大切にしたい時代に入ったのだと思っています。

そして、「書く人」にも観てほしいなと思います。書くことの苦悩、読んでもらえることへの喜び、書き手の業。書くことに関わっている人ならば、何かを感じられるでしょう。

「書き手が女性だから読まれない」という時代に、「書くこと」に人生を見出した女性たち。それでも書きつづけた彼女たちがいて、今のわたしたちにつながっている。

働く女性について映画や実像で知るたびに思うことですが、多くの女性たちが築いてきてくれたものを、今のわたしたちは受け取って生きているのですよね。今よりずっと職を持って働きづらかった時代を生き抜いた彼女たちに、わたしは敬意を表したい。そして、そのバトンをよりよいものに変えて、次の世代に渡していくのが、今の世代の役割なのでしょう。

公式サイト:天才作家の妻

わたしは映画館で観る予告編が大好きなのですが、次はこれが気になりまくっています……。

同じく、「女性」と「働く」を掛け合わした映画が好きな方にはこちらもおすすめ。

アカデミー賞がちらつき始める時期ですね。さて、今年はどの作品、どの役者が獲るのかな。