どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。
InstagramやFacebookだけではなく、Twitterを見ていても、「がんばっている親」が多いなあと感じることが多いです。
Twitterではキラキラばかりではなく、リアルな愚痴や悩みを見ることもできますが、「がんばっているなあ」と感じるものがほとんどです。
それに比べて、わたしは今、相当「がんばっていない」です……。
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「親はすごいんだ!」と思わせてばかりじゃなくてもいい
親って、子どもの前で「きちんとした立派な大人でいなきゃ」って思ってしまうことがある生き物だと思っています。
子どもの前では弱音を吐けないし、ましてや泣くことなんてできない。しちゃいけない。
いつでも強くて、いつでも頼れる、そんな太陽や大樹のような存在でいるべきだ。いなくちゃ。そう思ってしまって、がんばりすぎてしまっている人がたくさんいるように思います。
「ダメなところ」を見せた方が安心することもある
ただ、わたしは、むしろ「親のダメなところ」を見せてもいいんじゃないかなあ、と思っています。親のわたしが思うのではなく、子ども時代のわたしを振り返ってみると、子どものときに親の「ダメなところ」を見ておきたかったなあと思うのです。
わたしの親は、子ども時代のわたしにとって、「きちんとした大人」でした。もちろん、思春期以降アラが見えて、「それって矛盾してる……」と不満を抱いたことはあるのですが、それでも親はわたしにとって「完璧」でした。
一方、わたし自身は完璧から程遠い子どもでした。学校の成績では褒められることが中学時代までは多くて、校則も守っている一見優等生だったんですよね。
でも、悩みがちでしたし、逸脱したことをしてみたかったし、ものぐさだし、口だけ達者でやることやれないし、っていうタイプでもあったんです。
わたしはそういうわたしがいやでした。「ダメなやつだな~」と思っていました。そうして、「もっとちゃんとしなきゃ」、「もっとマジメにならなきゃ」、「完璧を目指さなきゃ」って思っていたんです。
……それは、親が完璧に見えていたから。大人とは、そうあるべきなのだと思っていたから。
何だか、窮屈だったなあとも思います。
子ども時代のわたしが、「あ、親も失敗するんだ。大人でもそういうことあるんだ」って思えたら、生きやすくなれたんじゃないかと思うことも多いのです。
だからといったら言い訳のようですが、わたしは子どもに「ママ、今日はしんどいから、がんばれない」とか、言っちゃってます。「ママも人間だもの」って言いまくってます。(笑)
子どもを不安にさせる弱音は別として、そうではない弱音なら、ときに吐いてもいいのではないかなあ。
親は子を優先させなければいけないの?
もうひとつ思うのが、親は自分よりも子どもを優先させる生き物だと思われていることについて。特に母親は、子どもを優先させて当たり前の存在だと思われていると思います。
たとえば、些細なところでは、おいしいものがあれば、母親は子どもに優先して与えることが多いですよね。おかずが余れば、自分より夫・子どもにあげることが多いのではないでしょうか。
もちろん、これらが自発的にしている行動であればいいのです。でも、本当は自分を優先させたい気持ちがあるのに、それを押し殺して子どもを優先させてばかりいると、いつかパンクしてしまうのではないかなあ。
そして、そういう親の姿を目にしてきた子どもは、自分が親になったとき、「そうしなくちゃいけない」「それが当たり前なんだ」と思ってしまうこともあるのでは……と感じています。
特に娘の場合ですね。事実、わたしは母がとにかく父やわたしたち姉妹を優先させて生きてきた人だったので、現在好き勝手に生きている自分を後ろめたく感じることが多いです……。
親じゃない「自分」でいたいと思うときがあってもいい
親になってからも、自分は自分です。自分の価値観や判断すべてが「親」に染まってしまうわけではありません。
それは母親だって同じです。未だに日本では母性神話が根強いですが、母親だって人間です。母性だけでできている存在ではないのです。
よつばくま(卯岡若菜)@フリーライター@yotsubakuma
取り急ぎ1日でいいから、完全に家事と育児を一切しなくていい日が欲しい……。(木っ端微塵に破らればらまかれた紙くずを拾い集めながら)
子どもは、欲しくて授かりました。欲しくて産みました。
それでも、ときには「子どもがいなかったらこんなことができたな~」って思ってしまうことがあったとしても、それは責められることではないし、「親失格」ではないと思う。
「欲しくて産んだんでしょ?」って他人に言われる筋合いはないよ。親だって人間だもの。それで子育てを永遠に完全放棄しているなら問題だけれど、ときに「あー、子どもいなかったらなあ」って思ってしまうことは、そこまで否定されなくてはいけないものではないと思います。
がんばりたいからこそ悩み、愚痴が生まれることだってある
Twitterをやっていると、子育ての愚痴や悩みにたくさん遭遇します。こうしたものに触れて、「子育てって楽しくなさそう」、「ストレスしかなさそう」、「大変そう」って思ってしまう未婚・子なし夫婦もいると思います。
でもね、わたしは思うのですよ。
よつばくま(卯岡若菜)@フリーライター@yotsubakuma
子育て大変!辛い!っていうツイートの裏には、「でも可愛いし産んでよかったんだよ?」っていう気持ちもあると思う。嬉しい気持ちはTwitterじゃなくても出せる。ネガティブほど、出せずに潰れちゃうんだよ。だからTwitterには愚痴が溢れるんだと思う。子育て、大変だけど楽しいんだよ?
……と。
子ども可愛い! 子育て楽しい! って心から思っている人ほど、わざわざツイートしない気がするんですよ。する必要もない。(ほら、夫婦仲が微妙な人ほど、夫婦仲の良さをアピールするっていうじゃないですか、SNSで)
Happyな気持ちは、勝手に溢れ出すし、リアルの友だちやママ友、夫にだって言いやすいです。でも、ネガティブな気持ちは?
……誰でも、Happyなことよりも出せる場所が少なくなるのではないかな。
それでも子育てはノンストップで続きます。どれだけ一時停止させたくても、放棄して休みたくても、子どもは待ってくれないんです。
だから、どうにかしてがんばりたい。乗り切っていきたい。そういう思いがあるからこそ、悩むし、愚痴も言いたくなるし、吐き出すことで気持ちを切り替えていきたい。そういう人も多いのではないかな、と思うのです。
子どもはね、可愛いんですよ。可愛いんです。でもね、吐き出さなきゃバランスが取れなくなることもあるんです。親だって、人間だから。
よつばくま(卯岡若菜)@フリーライター@yotsubakuma
午後、本格的に頭も体も動かなくなっちゃったから、子どもたちに言って倒れていたんです。
戻ってきたんです。
部屋が、これ以上ないっていうくらい荒れている現実とご対面。
何から片づけたらいいのかすらわからない現実に完全に打ちのめされている現在…。何これ、もう、泣きそう(遠い目)
よつばくま(卯岡若菜)@フリーライター@yotsubakuma
<瀕死状態の現状一部>
・トイレがペーパーを突っ込まれすぎて詰まらされてる
・米びつに入れるはずの米を勝手に開封され一部盛大に散らばってる
・昨日買ったはずの食パン8枚切りが全部食べられてる
・紙が木っ端微塵状態で部屋中にまき散らされてる
・引き出しから服を全部出してきて床以下略
こんなことツイートしてますけど、でもやっぱり子育ては素晴らしい経験でもあるんです。あるんです、よ……。
ママ&パパ、今日もがんばりましょうね。でも、ときには「親やめたいぃぃぃ!!!」って思っちゃっても、いいと思います、わたしは。
Have a nice day!