女性の生きる道

【本】女側ばかりを変えようとしていても、いつか破綻が来るだけだ

おはようございます。よつばくまです。

図書館で偶然目について借りてきた本が、見事にヒットしました。
読みながら「うああああ、これだ私が言いたいのはーーー!!!」と興奮。ものすごい共感度。

「関係貧困」の男、「時間貧困」の女

読んだのはこちら。
2015年に出版されている、比較的新しい本です。タイトルにがしっとやられました。

扉を開いたカバー部分に書いてある文章がこれ。

仕事以外の人生の選択肢に乏しく、“世界一孤独”とされる日本人男性
婚活・妊活・保活…リミットに追われ続け、家庭でも自分の時間を確保できない日本人女性、
双方が幸福になるために、一体いま、何が必要なのか?

第1部は男性について書かれています。

「関係貧困」と筆者が言う男性が持たない「居場所」とは、地域社会における「居場所」です。

都市部では、職場と住居が分離した状況におかれていることが大半ですよね。そうすると、仕事中心の生活を送り続けていた場合、いざその仕事がなくなってしまった場合、男性には行くところがなくなるのです。

実際、図書館で何をするわけでもなく長時間滞在している男性や、モールのソファでずーっと座っているおじさん(おじいさん)が、現在も見かけられますよね…。

仕事も、育児や家事、介護などを担わなくて済む環境であればこそ続けられるのであって、それらを男性が担わなければならなくなった場合、今の日本では会社内での居場所がなくなってしまうことも大いにありえます。

現代では未婚者がどんどん増えてきていますし、一人っ子同士の夫婦の場合、両家の両親の介護が一気に浮上してきてしまうと、妻1人で太刀打ちできるものではありません。

そのため、男性が介護を担わなければならないケースも増えてくるのに、まだ会社の体制の多くが昔ながらの「しっかりフルタイムで勤務する、家のことは妻が担当できる前提」というもののままなのです。

今の日本では、まだまだ男性に対しては「就労が当たり前」という風潮が根強いです。女性に比べて、男性は人生において選択肢が「働く」ことが前提とされていると言ってもいいと思います。

この就労第一主義が、結果的に地域社会に居場所を作る余裕をなくし、男性の孤立に繋がっていきます。現役で働けている間はそれでもいいのですが、1つ歯車が狂ってしまうと、すべてを失ってしまるリスクを抱えているのです。

友人がいるから大丈夫と思っていても、男性はマイナスの状態に置かれた場合、同性の友人には話せない、距離を置くパターンが多いそうです。そのため、介護離職をせざるを得なかったときなど、どんどん孤立していくことにもなるのですね…。

妻に精神的支柱を置いている男性は多いようで、離婚・死別後に平均寿命が短くなる割合は女より高く、また自殺率も高くなるデータが載っていました。
一方、妻の場合、夫の死後生き生きしてくる人もいるので、本当対照的ですね…。

第1部の最後に書かれていた、「この国は男性の『就労』には積極的だが、『幸福』には無頓着」という言葉が印象的でした。

この国は何かと女の「時間」に頼ってきている

一方、女性の「時間貧困」。

これはもう、わかりやすいですよね。家事労働=主婦は楽、暇、というように思う人が、未だにいますが、実際、楽でもないし、暇でもないです。

働く女性が増える状況に変わってきているのに、未だに何かと主婦の時間をあてにしている流れがあります。
PTAだとか。地域のボランティア活動だとか。子供が小学生の場合、旗当番だとか見回りだとか。家族の介護だとか。
子供の行事や看病なども、働いていたとしても、都合をつけて休めるようにするのは母親ばかり、という家庭も多いです。女性の時間は無償で与えられてしかるべき、みたいに思われているんでしょうか。

昔からある「家事育児」の水準は、専業主婦が主流だった頃のものなのに、その水準を働きながらも維持しなければならないような雰囲気もあります。それなのに、「女性の社会進出を!」というものだけを推し進めるのも、無理な話ですよね。

「保育園を整備して、預ける場所があったら働けるよね」だとか、「介護と子育てと仕事を両立できるようにしますから、働き続けてね」っていうことを女性にばかり向けるのはおかしいんです。

そもそも、私は女性の社会進出を政治が進めるのだって、別に女性のためというわけではないと思っています。

ひねた見方かもしれませんが、労働力の減少が理由でしょ、と感じているのです。もし、現状男性だけの労働力で事足りる状況が続いているのならば、ここまで女性が働きやすい社会に!というようにはなっていないような気もしています。

(それと同じことが、定年退職後の再就職話です。働きたい人が働き続けられる社会に!っていいように言っているけれど、これも結局労働力の減少が理由となっている話だよなあ)

そのため、結局男性の働き方をまず積極的に変えていこう!という流れにはあまりならず、とにかく女性が働けるようにという方向性で話が進んでいくんでしょうね。

何なんだ。この国は超人的な女を求めているのか。
そんなに女性に求めるな!男性就労第一主義のまんまで、女性も働きやすいように、って、それ絶対破綻するじゃん!

…と思うのです。

出産には生物的にどうしてもリミットがあります。そのため、女性はそういった意味での時間にも追われて生きています。

そんな時間の制約の中、社会的な整備をせずに、結婚も、出産も、キャリアも、すべてを成功させて「活躍」している女性は、「きらきら輝いている」というよりは、ぎらついた女性になってしまうのでは、という文章が印象に残りました。

ぎらつくくらい計算尽くして生きていかないと、そのすべてをタイムリミットまでにこなせられない、という切ない現状がありますね…。

キャリア志向なわけではない私だけれど、「何か」に怒っているんだな

少子化対策が「仕事しながらでも産み育てられる社会」ということを中心にしていることに、たぶん私はもやっとしているんです。

それはそれでもいいんです。実際、仕事も育児もしたい!という女性もいるでしょうから。

でも、そうではなく、「家事育児に注力したい!子供をたくさん産みたい!」というタイプの女性に対しては対策しようという流れがあるように思えないことに、「女を労働力と産む機会としか思ってないんじゃない?」という思いを抱くんです。

子供が欲しいけど、家計的にきついから躊躇する、またすでに厳しいため働かざるを得ないから、そうすると妊娠していられない。

そんな女性も多いと思うんだよな。
< br />キャリア志向バリバリ!という女性と、そうではなく子育て志向バリバリ!という女性が、両方とも共存できないと、少子化は止まらないと思います。

Have a nice day!