どうも、よつばくま(@yotsubakuma)です。
私は創作人間でもあります。物語って、自分がめちゃくちゃ投影されるなあと感じています。
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若いときに芽を出さねば…!と思っていた
マンガでも小説でも、若い人のデビューって、多いですよね。
私は子ども時代、少女マンガ誌の「りぼん」を読んでいたんですが、そこで当時2学年上の人がデビューされたことを目の当たりにして、「うぎゃあ!」って思ったことを覚えています。
特に、少女マンガ誌だと、高校生でデビューするような作家さんが多かったなあ。(今もでしょうかね)
「史上最年少」とか、そういう「肩書き」を見ていると、若い間に芽が出なければダメなものなのかも、と思うようになりました。
才能があれば、若い頃に芽が出るものなんだ。
若い頃に芽が出ないと、ダメなものなんだ。
そう思って、「そうじゃない自分」は何てダメなのかと思って落ち込んだり。(書けない状況になっているときは、さらに落ち込んだり)
ちなみに、その頃の私の「若い」は20代中頃。おまけしても20代。
……今の私、もうすぐ除外です。(三十路カウントダウン)
経験をした「今」の自分にしか書けないものは、いつだってある
今でも私はものを書いています。
途中、鬱方面に落ち込みすぎて書けなくなったり、反対に躁状態になりすぎて書けなくなったりした期間もあるけれど、たぶん、私が1番やり続けてきたことは、「書くこと」です。
その形は、絵本じみたものであったり、マンガであったりしたこともあります。
というか、そもそもはマンガ家になりたかったんですよね。絵がダメすぎて断念したんですけど。
幼稚園の頃から、何かしら、自分に書ける物語を書き続けてきました。そうしている時間が、1番楽しかった。
ただ、以前は、何か焦りのようなものを持っていました。いつしか、「ゴール」が「世に出ること」になってしまっていたのですね。
そのため、公募に出して、結果がダメだと、自分の書いたものを全否定されたように感じてしまっていたからです。
才能に自信なんてないので、あらためて「おまえ、才能ないよ」って外側から突きつけられたような気がしていました。
「書き続けていていいんだろうか」と思うことだって多かった。
そのことが、少ーし変わったのが、去年のこと。
とある公募で、1次選考に通ったんです。すごく嬉しかった。「書いていていいんだよ」って言ってもらえた気持ちになりました。
その作品は、過去の自分のために書いたような物語でした。そして、それは大人になった「そのときの私」にしか書けないものだった。それが、少なくとも誰かに「いい」と言ってもらえた。
ああ、私は私のまま、私が書けるものを書いていこう。
そうして、もし芽が出たらラッキーだ。
そんな風に肩の力を抜いて思えるようになりました。少なくとも、「誰か」に届くことはあるのだと知れたから。
私は私が書くことで、救われている
いつでも、書いているものは「今の1番」です。
今は、書いたものを推敲しています。
今回書いているものも、去年の私には書けなかったものです。書きながら、自分でも「うわー、こんな台詞が出てきた-!」と思っているくらい。
書いていくうちに、自分自身が解放されるというか、楽になれるのです。
自分自身の棚卸しのようなことを、私は創作を通じてしているのかもしれません。
そして、それが自己満足に終わらず、「誰か」に届けば嬉しい、そう思いながら書いているような気がしています。
決して「ゴール」は選ばれることじゃないんだ。結果として、そうなれば嬉しいけれど、「そこ」だけが目的地ではないんだ。
作品に、作品の登場人物たちに向き合って、そうして自分が「良い」と思える形にする。
そうすることで、きっと私はまた変われる。より良い方向に。
私はプロじゃありません。だから、そういった姿勢でもいいのかな。そう思っています。
(ただし、独りよがりにならないように。前のものより良いものに。そういう意識はしていますけどね)
自分の書いた物語が、紙の本になる日が来たら、それほど嬉しいことはないけれど、今は、今の私が心を込めて書けるものを、丁寧に書いていきたいと思います。
Have a nice day!